調査会社の会長ブログ【松谷廣信】

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探偵のひとり言2017/10/18

教訓

 「異業種交流会」というのは、結構広く頻繁に行われている様である。

 小生も40歳代の働き盛りの頃(今も働き盛りではあるが・・・)は、結構あちこち顔を出していた。参加メンバーの目的は様々であるが、一様にいえる事は、自己向上と商売。

 それに関しては何らいうことは無いが、仕事柄、以前から強く感じていることが一つある。それは、「交流会での売り込みには、気をつけろ。」ということ。

 特に人材(自己を含む)の売り込み。こうした交流会の場に顔を出している人のなかで、多く見られるのが、自称何々コンサルタントと称する人。一方、スカウトを目的に人材を求めて参加している人も少なくは無い。

 そこで、お互いの思惑が一致して、「内の仕事を手伝ってみないか・・・」などの話となる。

 そうしたケースで、弊社に調査依頼が来る事が度々ある。所謂、エグジェクティブ・キャリア採用調査である。

 流石にこのケースの履歴書は中々のもの。職務経歴書の自己PRもへーと思えるもの。ところがところがである。調べてみると、今度はへーと思える虚偽が満載。口八丁手八丁で見てくれは良いが、実績は伴わず、実際は同一企業に2年と続かず転職を繰り返している人が多く、弊社の調査結果では8割が、「採用不適当」 と判断せざるを得ないものと成っている。

 同様に商談でも眉唾のケースが多く、総じて交流会の場での売り込み話には注意を要すると云うのが、小生が仕事柄知りえた教訓である。

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探偵のひとり言2011/07/14

やらせメール

 九電の玄海原発の再稼動をめぐる一連の問題で、政府主催の県民説明番組に、九電副社長他幹部が社員や取引業者に「再稼動に賛成の立場からメールする様指示した」と言う、所謂「やらせメール」が政府及びマスコミ関係で大きく問題視され、やらせメール問題が「原発再開に影響を及ぼしかねない」とまで騒がれている。

 テレビ、新聞などあらゆるマスコミ関係の報道、又、政府も地方自治体も、九電の行った行為は言語道断でとんでもないことだとし、九電叩きに躍起になっている。

 私はこの問題を最初に知ったのは、NHKの朝のニュースで、海江田大臣が烈火の如く九電を怒り、全く信用できない、と憤慨している映像であった。

 このニュースを観たとき、何故か「エッ」と言う感じがした。しかし、以後の報道も九電叩き一色で、確かに再稼動に影響しそうなくらいの凄まじさである。

 こんな状況に有る中で、九電養護の立場で物申すものが居るとすると、相当な辺骨者か根っからのアホとしか思われないであろうが、私はどうもスカッとしない。やはり・・・相当なアホなのかな・・・?。

 「?」などいらないアホに決っている、と断言する友人の顔が浮かぶ。

 それでも敢えて「エッ」と思った感じの理由を述べてみようと思う。

 政府等の公共機関が、一つの物事を成そうとする時、民主主義の体裁をつくろうが為に、パブリックコメントと云う形で国民の意見を求め、それを物事をなす際の、判断材料の一つとする(実際は聞き置いたと云う体裁をつくろう為のもので、実際には殆ど影響を及ぼすことは無いようであるが・・・)。

 そこで、その物事に関係する、業界や団体など利害関係者は、唯一自分らが物言えるささやかな機会であるため、関係団体や業界人、その他に広く呼びかけ、「賛成」「反対」の意見を述べるようお願いする。所謂、自分らの意見を少しでも広く主張し、聞いてもらおうとするのである。

 これは当たり前の事で、市民運動団体などは特にこうした運動に力を入れている。また、予算折衝などの祭でも、地方自治体の長や行政官が国会議員もうでをするのも、その延長線上の事である。

 下は上の者に対し、あらゆる機会をとらえ、お願いをし、意見を聞いてもらおうとするのは極々当たり前の事であり、何ら恥ずべき行為ではない。

 ところが、今回の九電の行為は、とんでもない愚考で恥ずべき行為とされ、袋叩きにあっている。確かに、事がことだけに、直接の利害関係者が恣意的にこうした行為を行うと、本当の意味の民意を聞く形にはならず、問題はあろうと思うが、しかし、同様の行為は極々普通に行われている事であり、寧ろ、積極的に利害関係者が広く物を言う事を推奨してきたのでは無いか・・・。

 多分、この玄海原発の再稼動に反対する立場の団体や運動家は、やはり関係者やその周辺者に「反対の立場でメールするよう」広く呼びかけたはずである。しかし、市民団体など反対の立場の呼びかけはOK、企業側の賛成メールの呼びかけはダメ。

 そんなことが頭をよぎり、「エッ」と思った訳・・・。 中身をよく知らずに、勝手なことを云っているのかもしれないが・・・。

 九電が下請けに力で強制したのであれば、それはそれで問題はあろうと思うが、何れにしても公聴会とか説明会などと言うものは、一つのデモンストレーションであり、結果に影響を及ぼすなどは100%無いに等しい。

 ところが、今回は「やらせメール」行為が、原発再稼動と言う一大問題に影響を与えそうだと云う。原発再稼動問題など超重要問題は国や地方行政が100%責任を負い、慎重の上に慎重を重ね、命を懸けて判断すべき問題であり、単なる「やらせメール」問題で左右される事があってはならないと思うが、政府の重要閣僚が「やらせメール」が再開の判断に影響を及ぼすなどと、それこそ訳の判らない無責任な発言をしている。全くなさけないと言うか何というか・・・・。

 それにしても菅内閣って凄いね・・・。こんな人の寄り合い所帯で、しかも閣内不統一。あきれると云うか凄いと云うか・・・。

 「ひごろ思っていること、考えること」を気ままに書くのがこのブログのタイトルであり、勝手気ままに書かせてもらったが、決して原発再稼動に賛成と言うのではない、出来ることなら原発は再開しないで欲しいと思っている。ただ、何がどう狂ったのか、今回の「やらせメール」問題がヒステリックに騒がれ、それが再稼動問題に影響を及ぼすなどとなったら、なにおかいわんやであるが故、暇ついでに書いてみた・・・

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探偵のひとり言2006/12/22

戸籍法改正案に思う


戸籍法の改正を叫ぶ人権団体の真の狙いは、戸籍法廃止にあると思われる。


理由は、戸籍が旧身分制度のもとで作られた経緯にあり、現在戸籍にその名残は全く無いが、
戸籍は身分差別と密接なつながりがあるとの考え方が根拠にあると思われる。


その考えに一定の理解はできるが、戸籍は我が国において人の身分(階級的身分ではない)を公証する唯一の資料であり、
これを廃止すれば社会の秩序は保てなくなる。


従って、戸籍制度が身分制度と根っこを同じくしているとして問題視するのであれば、新たな制度(戸籍に代わるもの)を作っても構わない。


私が主張したいのは、人の身分を公証する資料は公開でなければならないと言うことであって、生死・親子・兄弟・結婚・離婚くらいは、
その気になれば誰でもが判るシステムにしておかなければ社会の安全や秩序の維持が保てないと思うからである。


次期国会で政府が戸籍法の一部改正を行おうとしている理由の一つに、
 


「戸籍の中には、摘出でない子や離婚歴など他人に知られたくないと思う事項が含まれている。
従ってプライバシー保護の観点から公開制限を加える必要がある」と述べている。


最もな考え方のように思われるが果たしてそれでいいのだろうか。所謂、プライバシーの考え方を前面に出し、
知られたくないと思う事項は全て隠すことが可能な社会を形成しようと考えているとしたら、これは大変な間違いである。あえて言うなら、
犯罪を助長し擁護するシステムを作る為の改正とさえ言える。


美しい日本平和な社会とは、
人が人を信用することができ安心して暮らせる社会の事である。


ところが個人情報を完全に保護すると
顔の見えない匿名社会となり、
人と人との信頼関係は築けなくなる。


行き過ぎたプライバシーの保護はプライバシーの侵害につながり、過度の人権擁護は人権侵害につながる。

  今回の戸籍法改正の大きな目的は、交付請求の制限である。

 現行、
「何人も理由を明らかにして戸籍の交付請求をすることが出来る」となっているのを、


「自己の権利若しくは権限を行使するために必要がある場合は、戸籍謄本等の交付請求をすることができると」 改正しようとしている。


一見、第三者でも権利、権限の行使に際しては戸籍入手が可能であるかのように読み取れるが、これは言葉のまやかしであって、
一般の第三者は絶対に入手することは不可能になる。


所謂、交付請求はできるが交付はされないということです


この事はよくよく考えなければならない。現行法では「何人も理由を明らかにすれば戸籍の交付請求はできる」となっているにも関わらず、
一般的には交付されない。それを今回は法律で、「権利権限の行使に限り交付請求が出来る」と改め、
有資格者以外は全てシャットアウトしようとしており、有資格者でも詳細な理由を示さないと容易には交付しないようにしようとする改正であり、
「自己の権利若しくは権限を行使する必要があるときは、第三者でも交付請求はできる」として、
公開原則は貫いているかのように欺瞞しているもので、改正されたら市町村長は絶対に第三者請求には応じなくなることは明白である。


結婚や商取引など相手が如何なる人なのか知りたいケースは社会生活を営む以上は頻繁に生じるが、戸籍や住民票(新聞報道によると、
住民票も今以上に交付請求に制限を加え、事実上第三者は取れなくする改正案を次期国会に提出)
が取れないとなると本当の事は何一つ判らなくなる。


名前も生年月日も親子関係もすべて確認の使用がない。


ただ、相手がいう事を信じるしか方法が無いことになる。結婚を前提に交際していて、アレッと思うような事があっても、彼、
彼女が既婚者なのか離婚暦があるのか、子供が居るのか居ないのか、だだ相手が言う事を信じるしかない。このようなケースだと法律でいう
「自己の権利・権限」があるように思われるが、役所の窓口で、その事をどうして証明するのですか?。
二人でホテルに入る所の写真でも示すのですか・・、それとも何処かで婚約証明書でも書いてもらうのですか・・、公証人役場などで・・。
そう言えばこの前、某賢人がこんな事をお話なさっておられた、「既婚者でも婚約して悪いことはない」、尤もな話である。
離婚して結婚する約束をするのであれば何も問題はない。ところが現実はそんなに甘くなく、既婚者であることなどおくびにも出さず、
結婚を匂わせ彼女を口説くなどごくごく当たり前に行われている。


人の氏名、年齢、住所など住民票の記載事項にプライバシーが存在するのか・・?。


意見は分かれているが、氏名、年齢、住所などは単なる個人識別情報であってプライバシーとは何ら関係ないというのも有力な説である。


戸籍の記載事項には、その他親子関係、結婚・離婚などがあり、より多くの個人情報が記されており、
住民票より扱いが慎重になるのは一定理解できるが、
社会の安全や秩序維持の為にはある一定の個人情報が公開される必要があるのも自明の理である。


個人の利益よりも公共の福祉が優先されるように、個人情報保護よりも社会の安全や秩序の維持が優先され、
そのため一定の情報を公開にする事は止むを得ないことである。ところが、今の日本は、個人の利益や権利が何にも優先し、
人権やプライバシーが余りに優先されるが故に、社会の中に大きな歪ができ、親子の関係さえおかしくなってきている。

 

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探偵のひとり言2006/12/01

探偵業法セミナー

先週23日、勤労感謝の日にも関わらず東京で開かれた「探偵業新法の特別セミナー」に参加してきた。先週のブログに記載した通り、
このセミナーは「探偵業新法」成立の立役者である衆議院議員葉梨康弘先生が、業法の解説書「探偵業法」(立法までの物語と逐条解説、
立花書房)の出版を記念し開催されしたもので、4時間半の長時間に亙るものであった。

開催に際し事前に業界団体への参加要請もあり、参加状況が気がかりであったが開演10分前には会場はほぼ満杯、
多分400名を超えていたのでは・・と思われる盛況であった。それだけ業界人にとって大きな関心事であったと言うことでしょう。

講演内容は、法案の作成に直接携わった(議員立法)先生の話だけに、
非常に判りやすくしかも要点をキッチリと捉えた内容の濃いものであり、4時間半の講演が正直アッという間の短さに感じられるものであった。

但し、法律そのものは、消費者保護(依頼者保護)と被調査人の保護を目的としたもので、業の育成は全く眼中に無く、
業界にとっては相当厳しい内容のものとなっている。しかも、この法律は議員立法によるもので、与野党全会一致でなければ可決・成立は難しく、
その為に、内閣委員会の議事録などに目を通すと、法案提出議員が如何に妥協に妥協を重ね、
全会一致での成立に努力し我慢をしたのかが読み取れるものである。

仄聞するところによると民主党は、人権の視点不足を指摘し、当初この法案には難色を示していたやに聞くが、イザ蓋を開けてみると、
法案提出者に民主党議員が名を連ね、委員会では、
野党であるはずの民主党議員の質問に民主党議員が答えるという前代未聞の審議をごく短時間の間に行い、
人権や表現の自由など憲法問題に関わるような極めて大切な問題を完全な出来レースで片付けている。正直、アッと驚くような応答を、
何処まで判っているのか疑問に思える民主党の若手議員が行っている。「こんなやりかたで国の法律ともあろうものがつくられていいのか・・!」
と叫びたくなるようなやり方である。

結果、業界には規制と義務のみを課し、育成の視点は微塵もなく、依頼者と被調査人の保護のみをうたい、業者は公安委員会(警察)
の監視下の基で、個人情報保護に最大の配慮をしながら、
あらゆる法律に抵触しない公明正大な調査方法で依頼者の求める情報を入手し報告しなさい、そうでなければ法で罰しますよ、という事である。
所謂、探偵社取締り法である。

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探偵のひとり言2006/10/11

再チャレンジ社会と調査業

先般、所属するNPO法人全国調査業協会連合会から会報の原稿依頼があった。
戸籍や業法問題など投稿したい問題は色々有るが、やはり旬の題材に勝るものはなかろうと考え、安倍首相の
「再チャレンジ社会構築」
の政策に調査業が如何に関わって行くか・・、そんな事を書いてみた。
また手抜きと叱られそうだが、今週はその原稿を添付する事にする。


「再チャレンジ社会と調査」
             松谷 廣信


この度、内閣総理大臣に就任した安倍首相は「再チャレンジできる社会づくり」を政策の柱の一つに掲げ、
失業したり、事業に失敗したり、夢破れても何度でも挑戦できる仕組みや支援策を構築し、
格差が固定化しないような社会」をつくるとしている。


可也漠然とした政策であり、これから徐々にその具体策が示されるものと思われるが、うたい文句としては、
国民の多くが望むであろう耳障りの良いものであり、大いに進めて頂きたいものと思う。


ただ、私はこの言葉を耳にした途端、「ワッ、これでまた調査業は叩かれるな!」と感じた。
日陰者の僻み根性がそう感じさせたのかも知れないが、調査業を否定的にみる頭でっかちの人権論者などが
人事調査などは、失敗者の再チャレンジを妨げる最たるものだ・・、」と、今以上に、人権、
プライバシー、個人情報などを錦の御旗に掲げ、声高々と叫ぶ姿が目に浮かんできたのである。


そこで、真の調査とは如何なるものか。「再チャレンジできる社会づくり」と
調査業」は決して相反するものではなく、寧ろ、切っても切れない密接な関係にあり、
共に手を携えて進まなければならないものである事を、限られた紙面ではあるが検証してみたいと思う。


第一に言えることは、調査は弱者を切り捨てるために行うものではなく、
調査は事実を知るために行うものである。人が人を信用するため、企業が企業を信用するため、
人が会社を信用するため、会社が人を信用するため、あらゆる相互間の信用・信頼を築く為の裏づけ、基礎資料を提供するのが調査である。
結果だけで人を判断するのはある意味簡単であるが人は決して結果だけで判断されるようなものではない。
破産者を破産と云う結果だけで判断するのではなく、破産に至る経緯や原因、
破産後の対応や態度など総合的な調査をして始めてその人の真の姿が見えてくるのであり、
再チャレンジが出来る社会」は「調査の必要性
を認める社会でなければならない。個人情報やプライバシーの名のもとに、調査を否定し、表面的な結果だけで人を判断するような社会こそ、
再チャレンジを妨げる社会」ではなかろうか・・。


調査業務の大半は、人の生命、財産、安全を護るという崇高な使命を負っており、何が事実か、
何が本当かを調べ、事実に基づいた正しい判断をする為の基礎資料を提供するものである。ある意味、
人生の節目ふしめに於いてなくては成らない必要不可欠なものであると言える。ところが、何時の頃からか、
「調査は差別につながるおそれがあるから・・」との考え方から、調査=差別ととらえられるようになり、「身許調査おことわり運動」
に行政までが関与するに至った。そして、昨年の個人情報保護法施行後は、「個人の調査は保護法に触れるのでは・・」
などとのたまう人が出てくるまでに至っている。何時、何処で、どんな力が働いてこんなことに成ったのか分らないが、
思考する事を停止させられたマニュアル化人間と事なかれ主義の行政が、声の大きな一部の人に洗脳された結果ではなかろうか。大阪市の
飛鳥会事件」などその最たるものといえる。今こそ我々調査業者は、自らの仕事に誇りを持ち、
調べることの大切さを世に問い、「再チャレンジできる社会づくり」に「調査業の必要性
を訴えて行かなければならないと考えている。

 

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