調査会社の会長ブログ【松谷廣信】

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隠岐騒動

会長日記2018/08/01

 一ヶ月程前、五箇会という隠岐の島町の一地域の集まりがあり、招待を受けその祝宴に出席した。冒頭、挨拶の中で、水若酢神社(みずわかすじんじゃ)(島根県隠岐郡隠岐の島町郡にある神社。式内社(名神大社)、隠岐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「菊」)の宮司は、今日は隠岐騒動の犠牲者14名の弔い神事があり、この会に出席できない、との紹介があった。

 エッと思った。隠岐騒動は無血革命であったはず?。14名の戦死者、エッそんな事があったのか。隣に座っていた御仁に、「隠岐騒動で14名もの戦死者があったの・・?」、質問した。すると、多分・・人数までは知らないが何人かは亡くなっているはず、と云う。以後暫くその人と、隠岐騒動についての話しとなった。その後、確か隠岐騒動の本があったはず、もし家にあったら送るは・・と云う。それはありがたい。是非読みたい、別に本の題名さえ教えて頂ければ、アマゾンででも取り寄せるけど・・、等と話していた。すると一週間もたたぬ間に、送られて来たのが、「島もゆ、隠岐騒動」(松本侑子)。 

 これは知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない、日本の歴史的秘話である。実は、隠岐の島は、明治維新の動乱期、極めて先進的な維新革命、無血革命を起こし、一時期自治政府を立ち上げた歴史があるのです。その事件を一般的に「隠岐騒動」というのですが、隠岐島は当時、松江藩、松平家の管轄領で有り、松江藩の代官が派遣され、常駐統治していた。ただ、可也民度は高かったいうか、学問に熱心な地域であった様である。それはそうでしょう・・。江戸時代は北前船の寄港地として、日本各地の物資と情報が入っており、当時は今よりもはるかに賑わい栄えており、本州から隠岐に渡って商売をする商人が相当居たくらいです。そうした中で、日本各地で起こった尊皇攘夷論が、隠岐の若者の中でも燃え上がり、外国船の寄港を排斥しようと動いたようです。また、中沼了三という隠岐出身の儒学者の影響もあって、藩政に不満を持つ、隠岐島の庄屋や神主が結束し、代官を追い出し、自治政府を作らんとした訳です。きっかけは、中沼了三が奈良県の十津川村に造った「武文館」を隠岐にも造らんとし、その旨を上申するも聞き入れられず、従来からの圧政による不満もあって、当時の庄屋や神主など主だったものが立ち上がり、それらの呼びかけで、3000人からの農民が集結し、代官屋敷を取り囲み、武力を使う事無く、時の代官を追い出し、自治政府を作ったものです。

 なんと、その自治政府は、3権分立の、極めて革新的なものであった様です。ところが、薩長のあやふやな対応から、隠岐は再度松江藩の管轄地とするという事になり、50日後に、松江版が数百人の武士を送り込み、自治政府をつぶしてしまいました。その時に、維新革命の首謀者など14名が戦死したと云うものです。詳細を話せば切がありませんが、非常に興味深い本で、楽しまさせていただきました。

 で、何が云いたいかというと、一般に知られるように単に隠岐は流人の島というのではなく、明治維新には、それ相応の貢献をし、今の日本を作り上げた、陰の立役者とまではいいませんが、それなりに頑張った島であるということが云いたかった訳です。

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