探偵業法
先週末、金・土は東京出張。定例のNPO全国調査業協会連合会の理事会出席がメインであるが、 夜は高校の同級生が営む鮨屋(笹塚駅近の鯛寿司)に同級生5人が集まり、 還暦の打ち合わせで深夜まで大騒ぎ。翌土曜日は、麹町に昨秋オープンした「鮨江戸時代」 の2号店出店計画の打ち合わせ及び予定地(神田駅前)の下見。午後は船橋の友人(1級建築士、姉歯ではない) が新事務所を出したお祝いに出向く予定であったが時間が取れず失念して帰阪。そして、あくる日曜日は、 2年に1度の隠岐人会。年初から頻繁に準備を重ねて来た甲斐あって、何と287名参加の大盛会となった。 多忙な週末であったがそれなりに充実した楽しいものであった。
全国調査業協会連合会での話題は何と言っても業法問題。 今国会で成立と思いきや中々そう簡単でもなさそう、出版社やフリーライターから業法に対しクレームの声が上がっているという。
所謂、探偵業の定義が、「探偵業務とは、他人の依頼を受けて、 特定人の所在又は行動についての情報であって当該依頼に係るものを収集することを目的として面接する聞込み、尾行、 張り込みその他これらに類する方法により実施の調査を行い、その調査の結果を当該依頼者に報告する業務をいう。」となっている。
よくよく読んでみると、この定義からするとマスコミ系のフリーライターなどが抵触する可能性は大いにある。そこで報道の自由、 表現の自由、知る権利などがクローズアップしてくるという訳。
最もな話である。解決策としては、マスコミ系は「適用除外」、多分これしか無いのでは。
関西隠岐人会は、 10年前に隠岐島の各町村の出郷者の会が連合会的な形で集まり結成された親睦会である。従って隠岐島出身者が全員対象者であり、 多分現在の隠岐島在住者よりも多いのでは無いかと思われる。そんな事もあって各町村長、商工会長、観光協会長、 町村議会議員さんなど島の要職にある方々の多くが出て来てくれる。それだけに準備も大変。しかも全て手作りであり、 12時の開催ではあるが朝9時からその準備に追われ、御開きが15時。それで終わりと思いきや、 ご苦労さん会と称しての2次会に引っ張られる。アルコールは嫌いでは無いが強くは無い小生に取っては少し辛いものがある。しかし、 歳と共にこうした役柄が増えるのは自然の成り行きか・・、余り愚痴らずに役目を果たすことにしよう。
そんな事で明日はまた隠岐人会のゴルフコンペ。これも幹事役を遣らされている。呼びかけにひと苦労するが、 それでも6組22名の参加者があった。明日ははりきって大いにたたく事にしよう・・・。
Posted on : 2006年04月25日 | コメント (0) | トラックバック (1)
経歴調査、履歴調査
日常業務として、調査レポートには余ほどの事が無い限り目を通す様にしている。今日も朝から10件程のレポートを読んだ。
当社が扱う調査はさまざまであるがメインは人に関する調査である。中でも多いのが、採用調査、 雇用調査と呼ばれるもので、企業が求人の際に行う調査である。
具体的には、求職者の履歴書を基に、本当にその経歴が正しいのか否かを調べる経歴調査、 履歴調査。 前職及び前々職など過去の勤務先に於ける勤怠、 職務能力及び退職理由などを調べる前職調査、勤務先調査。尚、 それに付随しての性格、素行に関する人物調査(性格調査、 素行調査)。出勤率などから推察できる健康状態調査などである。
所謂、被調査人の職能調査と経歴調査 (履歴調査)を行い、企業が求める人材に適合するか否かを判断し、レポート報告をする訳であるが、 弊社が扱う採用調査(雇用調査)で統計的にみると3割が不適当、 1割が要検討、6割が支障なしと云う結果である。
一般的には、ペーパーと面接試験をクリアーした人が調査に回される訳で、 それからすると4割が何らかの理由で要検討ないしは不適当と云うのはエッと思われる数字ではないかと思う。
中途採用に関しては、それくらいペーパーや面接だけでは判らないと云うことである。
今日点検したレポートでも、ビックリする内容のものがあった。被調査人は、年齢48歳の男性。履歴は高校卒で府警に入り、 25年間警察官として勤務し45歳で退職、民間会社に2年強勤務し、今度が2回目の転職応募。求人企業はサービス業であったが、 何とその元警察官、現職の時に猥褻と婦女暴行で逮捕され辞めさせられた人物であった。所が、警察は個人情報を理由に退職理由は勿論、 警察官であったかどうかさえ応えない。別に応えてくれなくても調査の方法は色々あり、 これくらいの事は判るが面接やペーパー試験だけでは判りようがない。
Posted on : 2006年04月19日 | コメント (0) | トラックバック (0)
隠岐の島にジェット機就航
私の出身地、隠岐の島に今年7月よりジェット機が就航する。
今まではプロペラ機しか飛べなかったが1,500メートル滑走路を2,000メートルに延長、小型ジェット機が就航できる飛行場になった。 但し、就航するのは7月?8月の2ケ月弱で夏期シーズンだけである。 しかも乗客率が予定数に満たなければ今年でジェット機就航は中止となる公算が大いという。
従って、隠岐の島は大変である。目標の乗客数を確保しないと、折角のジェット化が無駄になってしまう。そこで町や観光協会は勿論、 島民皆が乗客確保に必死になっているという。
そんな関係で私の所にも、ジェット機就航を宣伝せよとのことらしく、広告用のマグネットシールが送られてきた。 長さ50センチ幅15センチ程のマグネットシールに「隠岐ジェット機就航」の文字と「小型ジェット機」が描かれたものである。多分、 車に張って走れという事らしい。ムム・・、一寸引くものがある。しかし、隠岐の島出身者としてはそうも言っておれない。どうしたものか? と少し複雑な気持ちでそのシールをほっていた。ところがある夜、ほろ酔い機嫌で我が家に帰ると、 何とそのマグネットシールが目前に飛び込んで来た。何と我が家の門の鉄扉に「隠岐ジェット機就航」のシールが貼り付けてある。ウム・・、 女房も中々やるな・・・。少し気後れしていた自分が恥ずかしくなった。週一くらいしか車には乗らないが、今度乗る時は、 鉄扉に張られたシールを車に張り替えて走ることにしよう・・。
それにしても、ジェット化に幾らの金がかかったことか?。目標乗客数に達しなければ来年は飛ばさない・・、それって本当。 余りにも露骨過ぎないか・・・。ジェット化の目的が島民の意図と違う所にあるのは明らかなようである。
しかし、それはそれとしてジェット化は島民にも観光客にもとても便利である。何とか目標を達し、来年も飛んで欲しいものだ。
http://www.page.sannet.ne.jp/nobumi-saito/kankou/kankou.html
Posted on : 2006年04月11日 | コメント (0) | トラックバック (0)
五族之墓と義父
2日の日曜日、久し振りに家族で高野山へ墓参に出かけた。高野山には妻の父、新谷増雄が眠る墓がある。 20坪はあろうかと思われる大きな墓地で、五族之墓奉賛会が建立したものである。 義父はこの奉賛会の事務局を長年務め、墓の建立に並々ならぬ努力をしていた。そして、「俺が死んだら必ず五族の墓に入れろ」 というのが義父の遺言であった。
五族とは、日本、朝鮮、満州、蒙古、漢民族の五族であり、五族協和の王道楽土を創らんとの理想に燃えた満州国英霊の墓である。従って、 そこには満州国皇帝愛新覚羅溥儀及び弟、溥傑の名前も見ることができる。
義父、新谷増雄は、陸士56期で陸軍経理学校卒の軍人であった。所属は満州国軍であったが終戦でシベリアに抑留され、 極寒の地で3年を過ごし帰国。以後民間企業に勤め、子会社の社長等を歴任し60歳で定年を迎え、後は悠々自適の隠居生活を送っていたが、 78歳で病床に臥し間もなく他界した。
私が結婚したのは義父が60歳の定年を迎えた年で、現役の時を知らないが、 とにかく博識で軍人らしく自分也の思想を確りと持った背筋のピンとした人であった。余り多くは語らなかったが肝心な時の一言には重みがあり、 多くの事を学ばせて頂いた。正直、この人を義父に持たなかったら私の人生も少し違ったものになっていたかも・・、そんな事を思わせる位に、 私の思い方考え方に影響を与えた人であった。
私がこの調査の仕事に疑問を持ちナイーブになっていた時に、一言、「松谷君、泥棒が警察官になってはいかんだろう・・?」。また、 義父が定年して間もない時に、「お父さん、もう少し会社に残る道があったのでは」と聞いたことがある、すると、 「歳を取ったら後輩に道を譲るのが仕事だ」と一言。そして実際その通り、定年後はボランテイア的な事以外は一切しなかった。また、 愚痴や暗い話は一切しない人であった。例えば、シベリア抑留当事の話でも軍隊の話でも、面白おかしくは話しても、”辛かった” の一言を聞いた事がない。そんな義父の墓参りを、妻と子供で久し振りにすることができ、何となく肩の荷が少し軽くなった気がしている。
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| 5つの戦病死者供養塔(高野山奥の院) | 満州・五族の墓 | 五族の墓の後ろには、五族の英霊芳名壁がある。 |
Posted on : 2006年04月05日 | コメント (0) | トラックバック (0)








