2008年03月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

« 2006年02月 | メイン | 2006年04月 »

2006年03月28日

日本地雷処理を支援する会(JMAS)

昨日自宅に帰ると、「JMAS便り」が届いていた。 早速目を通すと、40年来の友である高山良二(JMAS理事)の記事が目に飛び込んできた。

写真パネル展開催(愛媛支部)「オヤジたちの国際貢献ーカンボジア地雷・不発弾処理活動 写真パネル展」 高山理事による講演「カンボジアの今」を開催した、と云うものである。結果は、 県知事をはじめ1,870名の来場があり、大成功であった様子が綴られていて、我がことの様に嬉しく思った。

そこで、少し彼(高山)のことと「日本地雷処理を支援する会」 (JMAS)の事を書いて見たいと思う。

高山と私は自衛隊の同期であり、共に夜間大学に学んだ学友でもある。私は大学卒業と同時に自衛隊も除隊し、民間企業に就職、 調査の道に入ったが、彼はそのまま自衛隊に残り幹部となった。54歳の退官時には二等陸佐(昔の中佐)に昇進していた。 その彼が退官と同時に奔走したのがカンボジアの不発弾と地雷処理の仕事である。所謂、 「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)の立ち上げである。自衛隊OBを中心とした全くのボランテイア活動であるが、 多くの賛同者と支援者を得て会の立ち上げに成功。以来、カンボジアに単身赴任し、現地スタッフと一緒になって不発弾処理に奔走、 今年2月現在で70.593発の不発弾を処理をしたという。

その彼が、2週間ほど前に突然電話をかけて来た。「今カンボジアから帰ってきた・・・・」と。用件は私的なことであったが、 その後彼が言うには、今年7月下旬頃から旧ポルポト政権の支配地域に一人入り、現地住民を使っての地雷と不発弾処理を計画しており、 ポルポト幹部との交渉を済ませ、その準備の為に帰って来たとの事であった。よくよく話を聞いてみると、治安もさることながら自然環境 (衛生問題等)も想像を絶するものようである。しかし、彼はそんな事は全く意に介していない様子で、 喜々とした弾んだ声でしゃべりまくっていた。とにかく頭が下がる思いである・・・。

私が今できるのは、JMASの会員として僅かばかりの資金援助をするくらいの事でしかないが、 地道な国際貢献に命をかける彼の姿に多くの事を学ばせて貰っている。

投稿者 ks110 : 18:20 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月24日

墓参り

先週末、関西総合調査業協会の研修会を実施。このブログでも紹介したが研修演目は、調査業法、個人情報保護法、戸籍住民票問題。

参加者は30名強。会員の大くに参加して頂けたが、会員以外の参加者も数名あり、非常に嬉しくおもった。又、今回は全くの手作りで、 外部講師は招かず理事の一部が講師役を務め実施したが、心配した割には好評で、今週数名の方より電話やお手紙で、 「業界活動に真剣に取り組んでいる姿が感じられ中々良かった・・・」とのお言葉を頂くことが出来た。 微力ではあるが今までの活動と努力が報われた思いがし、”これからも頑張ろう”と意を強くすることができた。

そんなこともあって昨日、協会の副会長を務める東田俊康氏と相談役の井上慎也氏と一緒に、 故.有本憲二氏(大阪府調査業協会会長を長年務め、業界活動に真に命をかけた人) の墓参に京都まで出向いた。前回お参りした時は、協会の分裂騒動など大変な時季であった事もあるが、墓前に立つや否や大粒の雨、 たまらず休憩室に駆け込む、するとスッと雨が上がる、再び墓前に立つと先ほどにも増して大粒の雨。再度休憩室へ、 そんな事を3度繰り返しやっと墓参を終えた。その時も東田俊康氏と一緒であったが、二人でしみじみと、「おい、有ちゃんが泣いてるぞ・・・。 何とかしなければな・・・」と語り合ったものであった。ところが昨日は、曇の谷間からいかにも初春らしい陽の光がさし、 のんびりと時間をかけて気持ちよく3人で墓参をすることが出来た。今回は、「よく頑張っているな・・・」と、 あのニヒルな有ちゃんが少し微笑んでくれた様な気がした。

投稿者 ks110 : 16:28 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月22日

我が母校 隠岐島前高等学校

昨日(21日、祭日)ゴルフを楽しみ帰宅すると、我が母校・隠岐島前高校から郵便物が届いていた。早速開封してみると、 何と隠岐島前高等学校創立五十年史であった。今は跡形も無くなった古い木造校舎や通学船 (離島故の船通学)の写真、恩師や懐かしい同級生の言葉などが盛り沢山つづられており、 何とも楽しかった青春の一コマ一コマが走馬灯の様に甦って来た。寝床についてからもその五十年史が離せず、 結局寝ついたのは1時を過ぎていた。

私が卒業したのは昭和41年3月、隠岐島前高等学校の1期生である。同校の創立は昭和30年であるが、 当初は隠岐高校の夜間分校として開校され、同33年には日本最初の全日制分校となった学校である。

隠岐ノ島は本土から約60キロの日本海に浮かぶ離島であり、大きく島前・島後の2つに分けられるが、この島前・ 島後の間でも船で1時間以上を要した為通学は不可能。当時高校は島に2校(隠岐高校と隠岐水産高校)あったが何れも島後にあり、 島前の子供は本土の学校(松江)か島後の学校に進むしかなかったが何れも親元を離れての下宿生活を余儀なくされた。その為、 島前地区の人に取って高校誘致は長年の悲願であった。 その為に一方ならぬ努力をしたのが初代の分校主事を務めた室崎美繁先生である。 とにかく何が何でも島前に高校を、と岩をも砕く信念で、県や文部省に足を運んだと聞く。その努力が実っての50年である。 室崎先生は数年前に亡くなられたが、さぞこの50年史をみたかったのでは・・・。

 

投稿者 ks110 : 16:43 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月17日

興信・探偵業研修会

今日は、関西総合調査業協会研修会がある。

場所は天満橋の京阪ホテル。午後4時から6時迄で、その後懇親会を予定している。演題は、探偵業法、個人情報保護法、 戸籍住民票問題についてである。昨年来からの三大関心事を一挙にぶつけ、研修会で皆で論議しようとの企画である。

何れも難しい問題を含んでおり、一度に解決できるようなものではないが、物言わぬ業界からの脱皮を図る足がかりになればと考えている。

調査業界には古くから「調査員は絶対に表に出るべきではない」との不文律的なものがあり、縦・横の繋がりを持たず、 人知れず活動する業界とされていた。こうした考えは業界の起源を、戦国時代の忍者に置くところから来ているようであるが、 コンプライアンスを重視される今日では到底通用するものではなく、合法的に正しい情報を入手し提供するためには、業界の社会的認知度を高め、 犯罪や不正行為の未然防止に貢献する無くてはならない業である事を広く世間に訴えて行き、 欧米先進国に見られるような社会に誇れる業界にて行きたいと願っている。

投稿者 ks110 : 09:58 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月08日

通勤を楽しむ

私の自宅は、寝屋川市成田西町である。交通安全で有名な成田山明王院の西側直ぐの所に位置し、最寄り駅は京阪香里園駅である。 駅まで徒歩約15分、住宅街の中を通り抜けて行くため、ジグザグで幾通りものコースがあり、その日の気分しだいでコースを変えている。 仕事柄常に尾行に気をつけてと云いたいところであるが、全くそんな気はない。ただ何となく同じ道を歩くよりは・・というだけのこと。

ここ数日はその内でも一番東側の通りを通っている。時間は他のコースよりも少し掛かるが、 2月から3月にかけてのこの時期は自然とこのコースに足が向いてしまう。理由はハッキリとしており、梅の花を観たいが為である。

聖母女学院の前を通って少し行くと友呂岐神社という小さな神社があるが、そこに4本の梅ノ木がある。 古木というのではないが白梅と紅梅のコントラストが何とも綺麗である。そこを通って少し行くと、レンガ造りの立派な屋敷があり、 この家の庭に小さな枝垂れ梅、その隣に瀟洒な平屋の家があるが、この庭の枝垂れ梅が何とも素晴らしい。 今朝は未だ3分咲き程度であったが日毎に咲いていく。今年は寒さが厳しかった分だけ梅の開花も遅かったように思うが、 ここ2?3日の暖かさで一挙に咲き始めた。

梅の花には開花の季節に似て凛とした美しさがあり、日毎春のときめきが感じられるこの季節が私は大好きである。

投稿者 ks110 : 18:21 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月02日

個人情報保護法

 昨年4月、個人情報保護法全面施行当初から法の解釈や取組み、また、その有り方などに疑問を呈して来たが、 実際に多方面で色んな問題が生じており、各種報道機関も「匿名社会」の到来を危惧し、 「安心社会の崩壊背景」(読売新聞)と題しての討論なども報じられている。そんな中で、 東京弁護士会が法施行1年を控え、「これでいいのか個人情報保護?、法施行1年匿名社会の今」と題し、3月22日に霞ヶ関の弁護士会館でシンポジウムを開く。その為に、 個人情報保護に対する意見や体験談の募集を始め、メールで受付をしている。

そこで、わが意を得たりと、調査業者からみた意見と体験談をしたため東京弁護士会へメールすることとした。

個人情報保護法施行後の状況

 

 昨年4月の個人情報保護法施行以後、国民の多くが個人情報とプライバシーを混同、個人情報は全てプライバシーと考え、 あらゆる個人情報に自己コントロール権があると解釈し、本人の承諾無くしては個人のことは公開できない、と考えているようである。また、 個人情報保護という新たな考え方に馴染みが薄い日本人(企業)は、事なかれ主義に徹し、共同社会の仕組みなど全く度外視して、 「個人情報は出さなければ問題視されることは無い」と短絡的に考え、それに徹している。その為にどんな弊害が起きようが、 そんなことはお構いなし。ただただ自分の所(個人、企業)が問題にならなければそれで良し、との利己主義に徹しているようである。

 このままで今の個人情報保護の考え方が一人歩きし始めると、日本のよき伝統は崩壊し、人情味溢れるムラ社会は保てず、 共同社会はギクシャクとした住みにくいものとなり、個人主義の横行に伴い、悪いやつほどよく眠る犯罪社会の到来が多いに予見される。

 

調査業者としての体験談

 私の会社は、企業が行う中途採用時の人事調査(採用調査、雇用調査)を主に行っているが、 個人情報保護法全面施行に伴い企業や官公庁の大半は、応募者が提出した履歴書の確認に応じなくなっている。理由は、 「保護法施行に伴い個人の事は一切お応え出来ません」というものである。学校関係も同様で、卒業確認に応じてもらえない。

 元々就職の際の履歴書詐称は非常に多く、弊社で行う採用調査の約30%に経歴の違いが確認されるが、 今の状況からするとその確認が殆ど取れなくなる可能性が非常に高い。結果、履歴書は書き放題という事になり、 履歴書を如何に作って書くかが採否の分かれ道になる状況下にある。

 

 先般行った採用調査ですが、被調査人は45歳の男性。大学卒業後、転職回数3回で昨年12月に大手建設会社を退職し、 求職活動をしているという人であった。ところが前職(勤続3年)、前々職(勤続15年)ともに個人情報を理由に職歴確認に応じない、 そこで仕方なく、居住地周辺での取材を試しみたところ、「以前は某スーパーに勤務していた・・」との情報が得られた。 履歴に疑問をもった調査員は、その情報に基づきスーパーに工作をかけたところ、「内に5年ほど居た人」との確認が得られた。何故、 職歴を詐称したのか疑問を持ち、調査を進めたところ、職場で300万円強の横領を働き半年前に解雇されていた事実が判明した。

 正直、こんなケースは日常茶飯事にあるが、厚生労働省などは個人情報云々以前に、採用時の調査は「差別につながる恐れがあるから」 との理由で、調査そのものを行わないよう行政指導している。

 昨年4月の個人情報保護法施行以来、官公庁は退職者の職歴確認には全く応じない。役所によっては現職の人が、 実際に勤めているかどうかさえ応じない。これは民間企業にも言えることだが。尚、学歴確認は全校ほぼダメ。

それに輪をかけて、法務省や総務省は、身分を公証する唯一の証明書たる戸籍や住民票を原則公開から非公開に法改正しようとしている。これも、 個人情報保護の流れから来ているようであるが、身分を公証するものを非公開としてしまえば、 何時でも何処でも他人になりすますことが出来ることになる。先ず間違いなく、 こんな法改正を行えば詐欺は現状の2倍3倍に膨らむことでしょう。

 

そこでお尋ねしますが、就職の際の履歴書や、契約ごとでの申告内容、結婚の際の履歴申告(釣書などを含む)などは、相手に提出した時点で、 確認されることには「黙示の同意」がある と解釈するのですが如何でしょうか・・?

何れにしても、個人情報は全て本人の承諾無くしては出せない、話せない、取れない、等とされたら大変なことです。

 

                           

投稿者 ks110 : 14:03 | コメント (0) | トラックバック