隠岐の国 | 調査会社の会長ブログ【松谷廣信】就活に関する信用調査

調査会社の会長ブログ

隠岐の国

2012年06月12日

 久しぶりに会社の机を整理していたら、新聞の切り抜きが出てきた。「時代の証言者
欄に掲載された、読売新聞のコラム記事であった。 思い出した・・・半年位前の事だった思う、女房が朝の出掛けに「お父さん、これ・・・」
と言ってわたして呉れたのだ・・・。 再度読み返してみると中々の記事、これは皆に紹介せぬ訳には行くまい。

「隠岐の国」
で見た牛の涙
   大石 芳野

 隠岐へ初めて行ったのが1975年の3月でした。
特に知識があったわけではありませんが、地図を見ていて「ここには何かいろんなものがありそう」と思った。多くの人が流された島だし、
朝鮮半島の文化の影響もありそうです。 

「島根県・隠岐は、西の島前(西ノ島町、海士町、知夫村)と東の島後(隠岐の島町)
から成る。後鳥羽上皇、後醍醐天皇ら歴史上の重要人物が流刑に遭った地としても知られる」

 当時はあちこちで「島離れ」が起こっていて、
経済的な理由その他で人々が島から出て行くという状況が加速している時期でした。のちには全国の農村で過疎化に拍車がかかりますが、私は
「今のうちにどこかの島をきちんと見ておかないと」と思ったのです。

 最初に船を下りた知夫里島で熊十郎さんという、
とても人のよさそうなおじさんに出会いました。半農半漁といった生活をしていました。「上がって休んでいきなさい」というのでお言葉に甘え、
アワビの捕り方など興味深い話を聞かせてもらいました。

 それから隠岐には何度か行きましたが、老夫婦を訪ねたのは3年後。
おじさんは亡くなっていました。大雪の日に雪かきをしていて「寒い 疲れた」と言ってコタツに足を入れたら、脳溢血で・・・・。

 「ああ、あの時の人ね。写真を送ってくれてありがとう」と、
おばあさんは私を覚えていてくれました。「じいが{東京の姉ちゃんが、こんなに大きく伸ばしてくれた}と、とても喜んでいた」と言います。
今度はおばあさんとの付き合いが始まりました。

 隠岐の四つの島は、どこにも深い文化が根付いています。84年に出した写真集
「隠岐の国」を見ながら説明しましょう。向こうでは「隠岐の島」ではなく「隠岐の国」と言っているのが印象的でしたね。

 古来の日本文化が至るところに残っていました。産小屋での出産。
生理中の女性はお参りできないお寺。土葬、それも座った状態で遺体をお棺に入れて埋める習慣。多くの人が「骨を焼かれるのは嫌」
と言ってましたよ。これは精霊舟。もう、見るものすべてに新鮮な発見がありました。

 島後でしか行われていない牛突き(闘牛)は熱狂的な雰囲気ですが、
私は負けた牛の涙に感動しました。飼い主の話を聞いて「まさか、それは汗だろう」と思いましたが、見比べると確かに、
負けた牛だけが目をぬらしているのです。

 文化は、急には生まれない。
その土地で長い時間をかけて培われたものだと実感しました。殆どが隠岐で生涯を終えた流人を慰めながら共に過ごし、一生を見守った島の「心」
に私は深く打たれました。(編集委員 永井一顕)

 良い文章だよね・・・。淡々として何のかざりもなく、隠岐で出会ったおじさんとおばあさんそのものと云う感じで、
しかも上手に隠岐を表現している。 「負けた牛の涙・・・」本当だよ。負けた牛は、涙を目に溜め、相手に尻尾をみせて頭を下げ、
コソコソトと逃げ出す。これで勝負あり。でも、大相撲になると30分くらい、角を突合せ、壮絶な闘いをするんだ。隠岐の牛突きは、
島流しになった後醍醐天皇を慰めるために、島民が何とか・・・と思って行ったのが始まりとの説もあり、
往時は島前も島後も盛んに行われていたという。ただ、今は島後に残るだけである。

 知夫里の老夫婦の話からフッと思い出した。私が高校3年の時のこと。高校は海士町にあり、僕は船で通学していた。その船の中で、
「松谷君ってここにいるかな・・、船の上で私を探している青年が居た。」「何でしょうか・・・」「いや、
今日僕達は君の家に泊めてもらう事になっているんだよ・・・」、「エッ、そうなんですか・・・」、「だからお家まで案内して欲しい・・」
とのこと。仕方なく、ぶっちょう面で家まで案内した。

 母に後で話を聞くと、浦郷からの帰り、道端で出会った旅行客(青年)に、何かたずねられ、話をしている内に、無銭旅行に近い感じで、
今日寝泊りするところも決めて無い事が分かったらしい。可愛そうに思った母は、「それなら今夜は家に泊まりなさい・・」
と云う事になったらしい。その夜のおかずは魚の煮つけであったのを何故か覚えている。また、その無銭旅行の青年は、実は京大の学生で、
その夜、僕はその京大生に「勉強はしっかりしろ・・・」と説教がましく諭されたのだ・・・。懐かしいセピア色の思い出であるが、
昭和30年代の隠岐の国は、そんな民度の島であった。

 

 

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