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2008年02月28日
香里天風会「新道場開設記念講演会」
今週日曜日は、香里天風会の 「新道場開設記念講演会」であったが非常に盛会裡に終える事ができた。
気になっていた出席者も優に目標をオーバー、60名で満席の会場に70名が入り、身動きし辛いほどの盛況であった。 会員の努力もあるが流石に尾身理事長(前財務大臣)の名前は凄い。また、講演内容も感動的で、会員は勿論、 初参加の方の多くが至極感激した様子であった。主催者としては何よりの喜びであった。また、尾身先生自身も結構感じ易いほうなのか、 講演中に声を詰まらせるシーンが何度かあった。 それほどに天風先生に対する思い入れが強かったと云う事なのでしょうが、後から直接先生に聞いてみると、 「皆の熱意がヒシヒシと感じられ、非常に話していて気持ちが良かった。香里は皆素晴らしい・・・」とのことであった。
朝目覚めた時は、真っ白の雪景色に、飛行機は・・、関空は・・、と頭も真っ白になったが(講演者、 尾身理事長は当日沖縄から関空経由で香里園に来る予定であった)、何事も無く、講演会は盛会で、 しかも理事長よりお褒めの言葉を頂くことができた。天風会員冥利につきる嬉しい一日であった。
投稿者 ks110 : 14:10
2008年02月22日
香里天風会 道場開設記念講演
来る2月24日(日)に私が代表を務める香里天風会の新道場開設記念講演会を開催する。 記念講演は、 財団法人天風会理事長で前財務大臣の尾身幸次先生に来て頂くことになっている。 その準備と新入社員研修(2名採用)で結構バタバタとしており、中々ブログを書く時間が取れない。そこで、 またまた何時ものように手抜きを決め込み、講演会に先立っての挨拶文を事前にしたためたので、それを添付させて貰うことにする。
今日は香里天風会の新道場開設記念講演会にかくも多数ご参加いただきましたこと、衷心より厚く御礼申し上げます。 会員の皆様は今更という感じでしょうが、今日は、町会の皆様方にもお声がけをさせて頂き、初参加の方も多数お見えでございますので、 記念講演に先立ちまして少し香里天風会の歴史と申しますか、生い立ちを紹介させて頂きます。
元々香里の天風会は当道場を提供していただいている藤田和恵先生が発端でございます。昭和37年、 体調の優れなかった藤田和恵が大阪で開催されていた天風先生の公開講演を聞き、先生の 「真理の話」 に衝撃的な感動を覚え、以来今風に言うならば天風先生の追っかけを始めたそうでございます。女の直感と申しますか、 和恵さんは天風先生に始めてお会いしたときに「本物」と直感され、 翌日には無理やりご主人の元洋先生を講演にお誘いし、 以来2人3脚で天風道一途の道を歩まれ、香里天風会の礎をきずきました。
昭和41年、 香里本通町の藤田邸改築時に藤田医院の2階に天風会の道場を造り、お庭の中に4?50人が体操のできるスペースを設け、 天風会一色の環境を作られました。そして、診察に訪れる患者さん等に積極的にお声がけをし、 毎日曜日藤田邸を開放し行修を始められたそうです。そうした献身的な活動に、天風先生も「うい奴」と思われたのか、 わざわざこの香里の藤田邸にお見えになられお泊りに成ったこともあったそうです。 昭和43年天風先生ご帰霊後は、2代目会長の安武先生、 3代目会長の野崎さんにも至極可愛がられ、安武先生などは何回と無く藤田邸でお泊りになられたようです。そして、 昭和46年、 安武会長の強い要請で財団法人天風会の香里支部を立ち上がりました。 以来営々として旧藤田邸で正月3ケ日以外の日曜日は、朝9時から12時まで一日も休むことなく修錬が行われてきました。また、春・ 秋の1日行修会、ハイキング、7月末3日間の夏期特別研修会も欠かすことなく続けてまいりました。 支部設立当初の特別研修会には、野崎先生や安武先生などが直接ご指導に見えられたようです。その後は長く、 山形に居られる伊藤久吉先生にご指導いただき、4年前からは東京の稲松先生、また、春・ 秋の行修会は山田務明先生、 その後は神戸の南方先生にご指導頂いてまいりました。
ところが香里園駅前東地区の再開発計画に伴い立ち退きを余儀なくされ、昨年末に藤田先生と共にこの東香里園町に移り、 今日の道場開きとなった次第です。
今日の「記念講演会お誘いの案内」にも少し書かせて頂きましたが、旧道場は古いながら道場にも庭木にも天風会員の気が染み込み、 一歩踏み入っただけでその気を強く感じる人もいたくらいです。そんな皆で創り上げた素晴らしい道場であっただけに、 立ち退きは非常に残念でしたが、社会の要請ゆえ致し方ないことでございました。 天風会は繰言は申しません。後は、 この新道場を以前にも増した立派な天風会道場にしていきたいと思っております。所謂、 形ではなく天風会らしい積極の気が染み込んだ道場にしたいと云う事です。 その為皆様と共に一生懸命歩んでいきたいと思いますので宜しくお願いいたします。また、今日は、 財団法人天風会本部より尾身理事長をお迎えし、 この香里道場の開設を記念してご講演を頂く事になっております。
尾身理事長は皆様ご存知の通り、 衆議院議員として目覚しいご活躍をなさっている先生でございます。 多くの方は既にご承知かと存じますがここで簡単に先生のプロフィールをご紹介させて頂きます。
先生は、1932年(昭和7年)12月、群馬県の沼田市で8人兄弟の長男として生まれ、 父親の行商の手伝いなどをしながらも昭和27年に一橋大学に入学。 奨学金と家庭教師のアルバイトで学費を賄う苦学をして、56年(S32年)に大学を卒業、 同時に通産省にキャリアとして入省、
以来、ニューヨーク領事、各課の課長を歴任なさり、82年6月中小企業庁指導部長を最後に通産省を退官。 翌83年12月衆議院議員選挙に群馬一区から出馬され初当選、以来8回連続当選を果され、 97年には国務大臣経済企画庁長官、 01年国務大臣 沖縄及び北方対策担当大臣を歴任し、前安部内閣では財務大臣を重責を担われていました。
ところが、このような多忙な分刻みの生活の中でも、天風会の主だった行事には必ず参加なさっておられます。 後で、先生からもお話があるかもわかりませんが、先生は、「議員が天風会員になったのではない、天風会員が議員をしているのだ」 と公言なさっておられるやに聞き及んでおります。先生は昭和36年に天風会に入会なさり、以来、心の本籍を天風会に置き、熱心に行修を続け、 今は財団法人天風会の理事長を務めていただいています。このような先生に、この香里の道場開設に際し、 記念講演を頂けますことはこの上ない喜びでございます。香里の会員を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
投稿者 ks110 : 14:55
2008年02月16日
採用調査(雇用調査)
採用調査(雇用調査)の最近の事例。
年に数件しか依頼のない某大手企業の担当部長より久し振りに電話、「松谷さん、 住所が町名までしか判らない求職者の調査ですが出来ますか?」、「と云うことは紹介会社(有料職業紹介事業者)経由の求職者ですか?」、 「その通り・・・」、「判りました・・出来ますよ」。 紹介会社は当初の紹介時点では求職者の詳細な住所や電話番号などは履歴書から削除して紹介するのが普通 (個人情報保護と求職者との直接連絡をさせない為など・・)。
求職者の履歴。米国の大学卒で、日本の貿易商社2社を経て出向先企業に転籍し、 転籍した会社から再度関連会社に出向となり、現在その出向先で部長の要職にある、 が面白くないのかその一方で転職サイトに登録し求職活動をしている人物。面接では、 言語明瞭で態度もよく何となくキレ者という感じであったらしい。
早速、経歴確認調査に着手。ところが現職は触れないし前職も前々職も転籍、 出向で現職至っており下手に触ると被調査人が転職活動をしているのが現勤務先に漏れる危険がある。従って、 取材は慎重に慎重を要する案件であった。そこで、知人を装い先ず前々職に「○○さんお願いします・・・」と電話、 すると 「そんな人いません・・何かの間違いでは」、「あ・・そうか、△△に変ったんでしたっけ・・・」、「エッ・・、そんな知りません。 そんな会社、内とは何の関係もありません」との返答。不振を感じた調査員、再び前職に同じ調子でチャレンジ、 「○○さんは大分前に退職なさいましたよ・・」、「エッ、何処へ行かれたかご存知ありませんか?」、「知りません、何かあったんですか」、 「いや、一寸尋ねたい事があったものですから・・・」。ウム、これはおかしい・・・。
ここで振り出しに戻り、履歴詐称を前提に本格的調査に入る。結果、 前職4社共に何ら関係のない会社で、転籍、出向などは全くのデタラメ。勤務期間も大幅に違っており、 職務経歴書に記載されている職責及び職務実績も可也の底上げであった。
職務能力に関しては、そこそこ仕事はできるが自己主張が非常に強く、職場での和が保てず、勤めた先々でことごとく上司、 同僚とぶつかり、1?2年で転職を繰り返すハメになっている人であった。
早速その旨をレポートにて報告。依頼会社から「有難う・・・」の言葉を頂く事ができた。 結果は知らないが多分採用には至らなかったであろうと思う。
ところが、こんな人でも厚生労働省の指導に従い、調査をせずに採否を判断していれば、先ず間違いなく採用となった事でしょう。結果、 紹介会社に紹介手数料100万円強(給料の3ケ月分相当額)を支払い、トラブルメーカーを抱え込み、 会社はその後相当な苦労を強いられる事に成った出あろうことが容易に推察される。
その次に依頼のあった女性の採用調査。調査経緯は省略するが、何と年齢を5歳も誤魔化していた。今は、採用に関し、 年齢制限を設けることは基本的にはできなくなっている。だからとと云って年齢詐称がOKとは成らない。単なる女性の見栄なのかも知らないが、 就職に際しての年齢詐称はいただけない・・。
投稿者 ks110 : 11:23
2008年02月08日
隠岐の島
我が郷里、「隠岐の島」が最近新聞紙上を賑わしている、 と云うほど大げさではないが時々記事になっている。良きにつけ悪しけにつけ郷里の事は気になるもの。
その1、 隠岐水産高校のこと。水産高校を卒業しても船に乗れない、 水産関係の仕事にも就けない。男の仕事と意気込んで入学した水高生の夢が叶えられない・・。 それを嘆く高梨校長(私の親戚) の話しが記事になっていた。それもそのはず、今の商船は、士官以外はオール外国人(東南アジア人)で締められている。
その2、 知夫村のこと。知夫村は島前に位置する一つの小さな島で、 人口800人弱という過疎村である。ところが近年、狸が異常繁殖、何とその数2千匹、人間よりも遥かに多くなっているという。それ故、 狸は大威張りで我がもの顔で農作物を食い漁り、この世の春を謳歌しているらしい。ところが反対に、村民は大変な被害を被り、 村長以下全島民が頭をつき合わせて、その対策を練ったとのこと。 結論は「駆除」、 ところがその事を知った動物愛護団体など全国の心優しい博愛者から「駆除などもってのほか・・」と非難ごうごう、1日2・ 3本しか鳴らなかった役場の電話が鳴りぱなし状態と相成り、村長以下島民皆がまた頭を抱えた。結論は 「防護柵で狸と人間の住み分けをし共存を図る」となったとか。 狸村の村会がどう決まったかは報道されていないが何となく落ち着くところに落ち着いた感じではある。しかし、小生は可也心配している、 そうは問屋が卸すまいと・・・。
その3、 西ノ島(私の生まれた里)のこと。 西ノ島の孤島に妖怪、ゲゲゲの鬼太郎の、 「ネズミ男」が住んでいるとの報道。岩肌が「ネズミ男」そっくりで、話題をよんでいるらしい。産みの親の「水木しげる」も、 「これぞまさにねずみ男」と大喜びとか・・。西ノ島にまた一つ観光名所が増えそう・・。何とも喜ばしいことである。
投稿者 ks110 : 15:52
2008年02月01日
週末は映画
最近、邦画が面白い。武士の一分、 続3丁目の夕日、母べい、何れもほろっときて心温まる、何となく余韻の残る鑑賞感であった。明日は、 歓喜の歌、アース、シルク、どれにしようかな?、先週は、一挙に2本観た。 母べいと銀色のシーズン、時間調整の積もりで観た銀色のシーズンも中々良かった。 今週も2本立てで行こうかな・・と云う感じ。
映画は夫婦で観るに限る。2時間じっくり楽しんで2人で2千円、しかも共通の話題ができ夕食も和む。一石二鳥である。 時間調整が難しいができるだけ週末は映画デーにしようと思っている。
投稿者 ks110 : 11:58