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2007年05月28日

小父さんの話、NO2

 早く「小父さんの話、NO2]を書かなくてはと思いつつ今日に至ってしまった。というのも、先週は東京での総会及び研修会が重なり、 殆ど東京に居た為に時間が取れなかったが故である。

 小説「中国任侠伝」の話であるが、中国の春秋時代(戦国時代)、孟嘗君と云う宰相が居た。 彼は5月5日生まれであった事から大変な苦労を強いられて育った(当時中国では、5月5日生まれの子は親を喰うとされ、 誕生と同時に殺される運命にあったという)。その為、周囲に対する気使いは人一倍濃やかで、部下は勿論、食客にも非常に慕われていた。当時、 食客だけで3千人も居たというが、ある事で国王の不興を買い、宰相の地位を剥奪された。すると、3千人の食客は、 蜘蛛の子を散らすように孟嘗君のもとを去っていった。残ったのはただ1人、無駄飯喰いの食客であった。

 ところが、孟嘗君。その後色々あって、再度、宰相の地位に復帰がかなった。そこで、1人残っていた無駄飯食いの食客が 「昔の食客を迎えよう・・」という。すると、孟嘗君、「とんでもない、あんな薄情な士など顔もみたくない。 私は客を遇することに落度は無かったと信じている。ところが私がいったん失脚すると、彼等はことごとく私に背を向けて去り、 誰ひとり振りかえってみるものもいなかった。再び私の前に現れるようなことがあったら、そやつの顔に唾を吐きかけ、 大いにはずかしめてやりたい・・・」という。そこで、無駄飯食い「そうではありません。あなたの言葉は間違っています。 物には必ずそうなる筋があり、事についても同じです。たとえば、生きている者が必ず死ぬようなことです。富貴になれば士が集まり、 卑賤になれば友も散じるのも、とうぜんのことでしょう。朝と晩と、市場の混み方が違いますが、人々が朝を好み、晩を憎むのではありません。 市場には朝にしか商品がないからであります。それと同じで、あなたが地位を失って、賓客が皆去ったのは、もうあたりまえのことです。 そんなことで士を怨み、いたずらに賓客の路を絶ってはなりません。どうか客を遇すること、もとのとおりになさいませ」と諭した。

その言葉をきいた孟嘗君、「私が愚かであった。つつしんでそのようにしよう・・・」と、云い大声で笑った。 その笑い声で心のわだかまりをすべて吹き消そうとでもするように。

 教訓的な面白い話であった。

投稿者 ks110 : 18:41 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月18日

小父さんの話

 今週のはじめ、某小父さんが突然会社に来た。1階の受付?から事務員に連絡したらしく、私にメモがまわって来た、 「八尾のおっちゃん、とおっしゃる方が1階にお見えですが・・・」とある。なに・・「直ぐにお通しして・・!!」。 少し疲れ気味のチョッキによれよれの帽子を被り、ニヤッと独特の笑みを浮かべて入ってきた。応接に腰をかけるやいなやタバコを口にくわえる・ ・・、ムム・・私の部屋は禁煙・・、所が全く意に介している様子がない。人生の大先輩、おん歳80才である。禁煙など通用するはずが無い、 直ぐに炊事場から灰皿を持って来た。タバコは昔ながらのピースである。

 実はこの小父さん、そこそこのお金持ちでゆったりとした暮らし向きの人である。ところが、お金を使うのは嫌いなほう・・、 それも可也徹底している。普通の人は「高価な物を自慢する」が、小父さんは「如何に安く買ったかを自慢する」、 とにかく物を安く買うのが大好きである。一般に云うダダのケチとは違い、お金は使う時は使う、無駄使いもする。 所が他と比較検討して安くなければ絶対にダメ、「松谷さんこれどや・・、君にと思ってこうてきたのだが・・」、今までにシャツやジャンバー、 ネクタイなど色々と頂いたが、1着百円のものは珍しい、たいがいは五十円で仕入れたものである。

 で、今回も同様。「松谷さん、これ面白いで・・、5冊の単行本をさしだす」、それも相当の古本、表紙は勿論中も色あせ赤茶けており、 少し目が弱くなった小生に取ってはチョット辛い本である。多分間違いなく10円で仕入れた本である。「何時もすみません・・ 有り難うございます」、深々と頭を下げ、5冊の本を押戴いた、トホホ・・・。

 小父さんは中国語が好きで、今も中国語の学校に週一で通っている。80歳になっても向学心は全く衰えていない、 漢字一つに大変な興味を示す、従って、エッと思うような話がちょくちょく聞ける。普通の人と少し違っているが、 それ故に独特の味があり面白い。「松谷さん・・、 この陳舜臣中国任侠伝、これは面白い・・日本の講談やな・・ これは・・」。そこで薦められるままに早速読んでみた、確かに物語は講談調で文の切れも良く面白い。その一節に、 一寸興味深い内容の話があったので紹介したいと思う・・。

 ところが、時間がない・・。次の用事があるので、内容の紹介は次回にゆずらしてもらう事にする。あしからず・・・。

 

投稿者 ks110 : 18:10 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月17日

与信調査

 「与信調査」。 与信というのは調査業界ではごく一般的に使われている言葉であるが、 世間ではそうでもないらしい。辞書を紐解いても普通の国語辞典には見当たらない。広辞苑にはさすがにあり、「信用を供与する」 となっているが、どうも一般的ではないらしい。

 与信調査=信用調査のことで、一般には信用調査として知られている。所謂、 商売上の取引に於いて、その相手先が信用に値するか否か、その与信度を調べる調査である。

 与信調査=信用調査は、大きく二つに分けられ、 企業信用調査個人信用調査がある。 業界では法人企業の与信調査を企業信用調査と言い、法人成りしていない個人企業の与信調査を個人信用調査として、区分している。

 弊社も、信用調査は日常的に行っているが、どちらかと言えば人に関する調査、所謂、人事調査、雇用調査、採用調査、 身上調査と呼ばれるものを得意としている。そうした事もあってか、クライアントも信用調査の依頼であっても、 企業の売上げや利益よりも、寧ろ「経営者がどんな人か?、経営者の与信度を調べて欲しい」という依頼が多くある。

 「企業は人なり」 とは決して枕言葉ではない。日産のゴーン社長を例に出すまでもないが、何万人の従業員を抱える大企業でも、経営者ひとりの姿勢、 考え方で生死さえ左右される。如何に人一人の力が凄いかと言うことである。従って、その事を知る多くの依頼者は、 数字よりも経営者その人を見ようとする。

 ところが、最近日本では、人を調べること、所謂、「人事調査」を、人権、 プライバシー問題に絡めて、してはいけない事のように言われている。何処の誰が言い出したのか知らないが、一方向からみた考え方で、 恣意的に物事を決めて行くと、こう言う事になる。

 しかし、人事調査お断りを叫ぶ人でも、「個人信用調査」はダメとは言わない。おかしな話である。 個人信用調査は人事調査であって、単に呼び方が違うだけ。データーバンクなど信用調査を専門とする者は、 「個人信用調査」と言い、探偵社や採用調査系の者は、「人事調査」 「身上調査」と言い、依頼内容によっては「会員調査」 などとも呼んでいる。調査の名称は違うが、調査内容は基本的にはほぼ同じである。何故なら、個人の信用度を調べる為には、 「経歴、人柄、資産、周囲評(世評、関係者評)、交友関係」などを調べる事となり、一般に言う人事調査、 身上調査と何ら変わるものではない。

 以前、行政と「採用と人権」 という労働部発行の冊子について話し合ったことがあった。その中でこんなやり取りがあったのを今でも鮮明に覚えている。  「身許調査(身元調査)は、差別につながるおそれがあるからしてはいけない、と書かれているが、 身許調査とは何ですか?、行政が言う身許(身元)の定義を教えてください・・・」と質問した。ところが答えらしい答えが帰ってこない。 そこで、「身許(身元)とは、個々人の解釈によって可也使い方が違いはしない・・?」、「出身地や親許を指して身元と言い、 身許調査とは出身地や親許を調べること解釈している人もいれば、身許保証人的な意味で解釈し、人となりから行動まで、 人に関するあらゆることを指していると理解している人もいる。中には、素行を調べることを身許調査と云う人もいる。時には「身許は確か・・」 等と信用度に重きをおいて使う人もいる。採用調査は、経歴確認、人柄、勤怠、退職理由、交友関係などを主に調べるが、 この調査を身許調査と云う人もいる」、それくらい身許という言葉は幅広く使われているが、「身許調査はいけない」とは、 何処までの如何なる調査をさしているのかよく分からないところがある。

 本人に全く関係の無い、本人の意思ではどうしようもない事項、所謂、出身地や先祖の事項のみを指して身許、身許調査とするならば、 身許調査の規制に異を唱えるつもりなどもうとうないし、業界としても、「部落差別調査は、しない、受けない、 やらせない」運動をより以上に推進していかなければならないと考えているが、 人事調査に対する規制の言葉や語句の曖昧な使い方には大いに疑問を感じている。

投稿者 ks110 : 15:32 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月07日

ゴールデンウイーク

 今年のゴールデンウイークも昨年同様、前段、後段の二回に別れ計7日間。 企業によっては9連休とした所もあったようであるが弊社のような零細は大半が暦通りであったのではないか。

 小生の連休は、前段は一泊二日で趣味のゴルフ、後段は家族サービスにあい務め、バス旅行ツアーに参加した。コースは、岐阜の 「ひるがの高原・水芭蕉群生地⇒御母衣湖・荘川桜⇒白川郷合掌造り⇒五箇山合掌造り⇒能登志賀の温泉(泊) ⇒砺波チューリップフェア⇒夢の平スイセン畑と周り、北陸道経由で帰ってきた。走行距離900キロ強の可也強行軍であったが、 日頃の行いが反映してか覚悟していた渋滞は全くなく、極めてスムーズな旅であった。

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 実は、この旅は妻が特に相談もなく決めたものであるが、偶然にもこのコース、28年前(昭和54年)、私が会社を創業した年の夏、 親友と二人で自家用車で周った懐かしいたコースと全く同じであった。但し、その時は今回とは全く逆で、福井、石川、富山、岐阜と周った。 当事は高速網も今のようには発達していなかった事もあるが、何よりも暇はあるが金が無かった。その為、 名神高速以外は殆ど地道を走ったことを思い出す。従って、日程も3泊4日とのんびりしたものであった。

 彼の親友、12年前に49歳の若さで天国へと旅立った。彼とは前職場で知り合い、何故か気が合って始終一緒に居た。 私の独立創業にも全面的に応援してくれ、半年後には弊社に来てくれた。以来二人三脚で創業期の一番苦しい時期を乗り切ってくれたが、 家庭の事情で6年後に出身地の福岡に帰り、母親の面倒を見ながら弊社の福岡営業所として活躍してくれていた。ところが、 大阪に出てきていた平成6年の暮れ、友人の事務所で突然倒れ、数時間後には帰らぬ人となっていた。私は友人からの急報で、 救急病院に向かったが既に時遅し、地下の霊安室での面会となった。その夜誰も居ない霊安室に毛布を持ち込み、 朝まで彼と二人の時を過ごしたのを思い出す。

 

投稿者 ks110 : 16:34 | コメント (0) | トラックバック