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2007年02月23日
戸籍法の一部改正
先週、今週と連ちゃんで東京出張となった。週の内に2?3日出張が入ると、その週は何となくあわただしく落ち着いた気分に慣れない。単に場所が変わるだけだが出張となると何となく気分が変わる。
ただ、私は汽車に乗ることは全く苦にならない。寧ろ楽しみである。汽車と言っても新幹線は今ひとつ情緒に欠けるが、それでもいっこうに苦にならない。コーヒーを飲みながら好きな本を読み、本に飽きると景色を楽しみ、眠気が来ると気兼ね無くうつらうつら・・、そんなに気儘にしていても汽車はキッチリ私を目的地に連れて行ってくれる。時間が倍に使えて何となく得をした気分になるからである。
出張の目的は、今国会に上程される「戸籍法の一部改正案」に関する陳情で、自民党の法務委員の先生方に「要望書」を持ってお願いにまわる為であった。衆・参議員会館の最上階(7階)から順番に各議員の部屋を訪問し、お願いする。代議士が在室であれば直接、不在時は秘書の方に「戸籍が非公開になった場合の弊害」を訴え、理解を求めようということである。
「結果はともかくとして遣れるだけの事はやろう」との思いである。社会的に相当厳しい目でみられれている調査業界の陳情などまともに聞いて貰えるとは考えていないが、この問題は国民の誰もが、「不振」や「疑問」を抱いたときに相談を受ける事が多い調査業者でしか知りえない事項が多くあり、「戸籍を非公開にした時の国民の損失」を、声を大にして訴えてきた。
以下は、今回の要望書の一部である。これに以前このブログでも紹介した「調査事例」を添付し上申した。
調査業界は、一般市民や企業からの依頼を受け、種々の調査を行い、結婚詐欺や取り込み詐欺などの被害を未然に防ぐなど、我が国の社会安全と秩序の維持並びに人権擁護にいささかなりとも貢献していると自負しております。私どもの調査活動の中で、戸籍は住民票とともに被調査者を特定できる事実上唯一の公的情報であるため、戸籍が原則非公開となると、調査活動に重大な支障をもたらし、依頼者に質の高い報告ができなくなり、延いては、我が国の誇る社会安全に重大な影響が出るものと懸念されます。
そのような背景から、1昨年から始まった今回の「戸籍法の見直し」の動きには特段の注意を払い、その審議の成り行きを見守ってきました。そして、昨年の8月には、見直しの「中間試案」に対するパブリックコメントも行なわれました。
このパブリックコメントの集計結果を踏まえて開かれた、法制審議会戸籍部会第11回会議(平成18年9月19日)の議事録には、「公開の制限」について意見が分かれており、それぞれの意見が紹介されています。私どもが指摘した戸籍公開の有用性についての具体的事例(添付資料をご参照下さい)も一部紹介されてはいるものの、それについて審議された様子は一切うかがえません。また、「戸籍を広く資料として使用することが真実の発見につながる」や「全く社会的な必要性というものを無視して、今回戸籍法の改正がなされるということについては非常な危機感を持っております」といった一部委員の正当な意見は、「戸籍の非公開」が今回の法改正の趣旨として、これら制限を緩める意見を一蹴しています。
一方、非公開制に賛成な意見の際だった特徴は、具体的に論証することはせず、ただ法改正の趣旨を錦の御旗にして、調査業者などによる戸籍の交付請求を「全て不正なもの」と決めつける偏向した意見に終始しております。
私どもは、その法改正の趣旨こそが大問題だと考えています。今回の法改正を実質的に推進しているのは、パブリックコメントにも組織的に多くの賛成意見を寄せた一部の人権擁護団体でありますが、その幹部が常識では考えられない不正を積み重ねてきた事実は、大阪市の飛鳥会事件、奈良市職員の給与不正受給や京都府清掃局の不祥事などから明らかになっています。ところが、戸籍部会における審議には、その組織の体質からでた重大な不祥事の影響を受けた形跡が一切見当たりません。特に、奈良市と京都府の事件はパブリックコメントが締め切られた後に発覚したものであるにもかかわらず、無視され続けています。この事件に対する地方自治体の対応ぶりを見ると、自治体職員が人権擁護を標榜する団体の恫喝に如何に弱いかがよく分かります。そのため、市町村長の判断で戸籍の公開が認められている現法体系下にあっても、弁護士等の有資格者以外の第三者からの戸籍交付請求には応じて貰えないのが現実です。
戸籍を非公開制にすれば、身元確認が容易にできないことを背景に、詐欺や詐称事件が蔓延する社会が到来し、インターネットの普及とともに進んできた匿名社会がさらに深刻なものとなり、世界に名だたる「醜い国、日本」になってしまいます。
審議会事務局によれば、次回の通常国会に改正案を提出するというスケジュールになっているとのことでありますが、私どもと致しましては、今回の性急な法改正は一旦留保し、 戸籍の公開制により確保されてきた社会安全や秩序の維持と非公開とする事によるメリット (漠然としたプライバシー保護)との得失を、できれば数量的に評価した上で、戸籍というすばらしい社会的財産をどのように活用すべきかの論議を慎重に進めていただきたいと切望しています。昨今の弊害の多い行き過ぎた情報非公開制の流れを見直すよい機会ではないでしょうか。そして、身分登録簿の公開制を堅持している英国やスエーデンなど、人権擁護についての先進諸外国の状況を参考にするとともに、弁護士や司法書士などの有資格者からの意見だけでなく、訴訟といった深刻な事態に陥る前に一般市民の被害を最小限に食い止めることに貢献している調査業界の意見も採り入れて頂きたいと願っております。
なお、私ども調査業界は、守秘義務とコンプライアンスの徹底を一層推し進め、一般市民がさらに安心して依頼できる組織づくりを目指しています。
ご多忙中の中、最後までお読み頂き有難うございました。
投稿者 ks110 : 14:43 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月13日
同窓会
この土、日、月の3連休は、我が母校、黒木中学校の同窓会であった。
小生は、昭和38年3月島根県隠岐郡西ノ島町立黒木中学校卒業。そこで、ごく単純に38年の卒業生の集まりを「三八会」と名づけ、 42歳の厄年以後、5年に1度同窓会を開催してきた。今年は、61歳の本厄、所謂「還暦」である。そこで、 何時にも増して大々的な同窓会となった。
会場は、京都の奥座敷、湯の花温泉である。新大阪駅を集合場所とし、バスにて一斉に湯の花に乗り込もうとの企画。 出身地の隠岐ノ島は勿論、東京、名古屋、大阪、兵庫、四国、島根と各地から三々五々集まり、 午後2時の集合時間を待たずに大型観光バスは超満員。後は何時もの通りワイガヤで、幹事の話など全く聞く者はいない。 それでもバスはキッチリ目的地に着いてくれる、唯ただ運転手さんに感謝。
夜の宴会も同様。乾杯の後、1分間スピーチが予定されていたが皆が耳を傾けていたのは最初2?3人の話だけ。 後は誰が喋っているのかさえよく判らない、彼方此方で車座ができ勝手に盛り上がっている。情けないと云うか何というか・・、 無駄に歳を重ねただけで一人も成長している奴は居ない。
社会的地位だけは其れなりに恰好を付けており、大学教授も居れば社長も居る、学校長も居れば生徒(夜間高校)も居る、 主婦も居れば後家さんも居る、ヤクザはいないが漁師は居る。そういえば田舎の教育長も居た・・・。しかし、何れも名刺の肩書きだけで、 ハートは皆中学生のまま。
当たり前のくどのまえ、宴席は2次会・3次会と続く。なかでも楽しかったのが2次会のカラオケ。 喉自慢はキョウビのこと五万と居るが、ふと横を見ると大きなハンカチを雑巾代わりに、音楽に合わせながら壁拭きをしているのがいる。 60歳にもなったオッサンが何とも言えないおかし味を持った恥じらい顔で、腰をくねらしながら壁に張り付いて踊っている・・、 今こうしてブログを書きながらも、つい噴出してしまいそうになる。しかも、そのお人が普段は鬱病では・・、 と心配になるほど大人しく寡黙であるが故になおさらである。実に楽しかった・・、久方ぶりに笑いながら涙を拭いた。
翌日は京都観光。嵐山、金閣寺と巡り、平安神宮で厄除けの神事(正式参拝)を行い、南禅寺の湯豆腐に舌鼓をうち、 後は京都駅と新大阪駅で一部解散、残る吾等は大阪のど真ん中にホテルをとり、近くの中国料理店で2日目の宴席。飲みすぎ食べすぎ喋り過ぎ、 疲労困憊した老体に鞭打って、またもや何時果てるとも判らない宴会が始まった。中には、てふてふとり今日は何所まで行ったやら・・、 帰ってこぬ連中もいたと云う。
翌朝早くにはお迎えのダッジがホテル前に到着。二日酔いのボーとした頭で、9時9分にはテイーショット。可愛いキャデイーが 「ナイスチョット・・」と横を向く。何とも忙しくて楽しい2泊3日の還暦同窓会であった。
投稿者 ks110 : 15:30 | コメント (3) | トラックバック
2007年02月06日
節分
2月3日節分。暦の上では立春ということですが日本経済と同じで全く実感はない。未だまだ寒さには気をつけましょう。
ところで節分と言えば豆まき。豆まきと言えば成田山。我が家はその成田山明王院の直ぐ西側に所在する。従って、 節分は当然成田山へという事になるが、勤め人の悲しさで節分が休日に重ならないとそうは行かない。 ところが今年は土曜日が節分で小生も61歳の本役。早速妻と二人で成田さんに向った。豆まきは3回行われ、朝一番が10時30分開始の予定。 10時には行ったが既に数千人の人で境内は超満員であった。
成田山明王院の豆まきは、例年NHK朝の連ドラの役者が顔を揃えることで知られているが、 その他にもお笑い系の芸能人や政財界の年男、京都の芸子さん達がズラッと顔を揃える。紋付袴に身をかためた年男、 年女が舞台狭しと並んだ姿は壮観である。
10時半過ぎ、フウちゃんこと大田房江大阪府知事の挨拶の後、いっせいに豆まきが始まった。 押すなおすなの揉みくちゃの中で豆をゲットするのは容易な事ではない。 成田山の豆は皮付きの落花生であるが落ちたのを拾うのは最も危険な行為。従って、手お伸ばして直接ゲットしるしかないがこれは難しい、 そこでベテランは風呂敷や紙袋を頭上に掲げゲットする。小生は、そんな事とは露知らず手ぶらである、ところが流石は我妻、 キッチリと紙袋を持参していた。成果は、歳の数には少し足らなかったが、そこそこ満足できるものであった。
例年、我が家でも豆まきは必ずしている。但し、今年は妻と二人だけの一寸淋しい豆まきであった。 子供が未だ小さかった頃は節分の日は大変であった。会社帰り、玄関を開けるや否や鬼の面を被らされ、家の周りを走り回らされ、 豆を投げつけられたものである。大変ではあるが、それなりに楽しく賑やかな豆まきであった。しかし、今では全く相手にしても貰えず、 「お父さん、恥ずかしいから小さな声でして・・」と、文句を言われるのがおちである。
話は変わるが、成田山の豆まきは「福はうち!」のみで、「鬼はそと!」は言わない。何故なら、成田山の境内に鬼は居ないから、とか? 。それはそれとして、「福はうち」「鬼はそと」の掛け声は、心の鬼と福ではないかと私は思っている。すなわち、自分の心の中にある、「怒り、 怖れ、悲しみ、煩悶、妬み、嫉妬」などの消極心を「鬼」とし、「親切、正直、喜び、感謝、平和、思いやり」 など人間誰しもが生まれながらに持っている真心を「福」として、「鬼はそと、福はうち」と大声を出し、 幸せな一年を願うのではないかと思っている。