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2006年10月25日

二人旅NO2

翌日曜日は早々に朝食を済ませ、AM9時には熊野本宮の大鳥居(日本一)の下に立っていた。そこを出発点に本宮にお参りし、 そのまま往復約8キロの熊野古道を歩くことにした。鬱蒼とした杉林の中をただただ黙々と歩く。聞こえるのは野鳥と虫の声だけ、 都会の喧騒を忘れ、古代人のごとく自然の中に遊んだ2時間半であった。

本宮前の小奇麗な食堂で昼食を済ませ、岐路に着く。途中、文武館があったという十津川高校に立ち寄ったが既に文武館は無く、 高校のグラウンド横に中沼了三先生の立派な碑が建っていた。幕末の頃、戸津川郷士の血気盛んな若者が尊皇攘夷、 勤皇の心に燃え立ち上がった旨が記されていたが、隠岐騒動(明治元年、松江藩の隠岐郡代を追放し、自治政権を行う。無血革命による隠岐維新) の思想背景ともなった中沼了三先生の凄さを改めて思い知らされた。

十津川高校を後に暫く走ると、玉置山12キロの看板が目に入った。エッ、12キロで玉置山、それならとUターンして玉置山へ、 ところがこれが大変、急勾配のS字カーブを延々30分、やっと駐車場についたが、玉置神社にはそこから未だ徒歩30分。しかし、 標高千メートル以上の玉置山に創建された玉置神社は霊気に包まれた幻想的な眺めであった。往復2時間を要した大変な寄り道であったが、 2時間で1年程命が伸びたかも・・・。

そんなこんなで帰宅したのは20時近くなっていた、20数年ぶりの楽しい二人旅であった。

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投稿者 ks110 : 18:23 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月24日

二人旅

週末久し振りに小旅行に出かけた。しかも妻と二人である。団体旅行に二人で参加というのはあるが純粋に二人というのは記憶にない。 多分20数年前の新婚旅行以来では無かったかと思う。

土曜日の朝8時過ぎ、「そろそろ出かけようか・・」と妻に声を掛けると、「エッ、あれ本当だったの」との反応。 2人での旅行など計画もしたことが無かっただけに、事前に一言「週末に熊野へ行こうか・・」と声は掛けていたものの、半信半疑であった様だ。

考えていたのは奈良県天川村の龍泉寺をお参りし、 十津川村の文武館に行き、川湯温泉で1泊、 翌日本宮にお参りし、熊野古道を少し歩こうとの計画。 ただドライブを兼ねて1泊しただけで旅行という程の事ではないが、これが中々良かった。

天川村の龍泉寺、近畿36不動尊霊場巡りの一つとして立ち寄ったが思っていた以上に素晴らしく、 表現は悪いが面白いお寺であった。修験道のお寺であるが、怒りを露わにした不動明王が片目をつぶっていて何処と無く愛嬌があり、また、 ひょうきんな顔の狛犬の背中に子供が何匹も乗っかっていたりと、独特の味があった。また、 50回記念とか100回記念とかの碑が沢山あるのには驚いた。多分水ごりや滝行の回数を記念しての碑と思われるが・・。

十津川村の文武館。これは私の郷里、 隠岐の島の出身である中沼了三(文化13年生、国学者、明治天皇侍講) が孝明天皇の命により創立した文武館である。今回の一番の目的は、この文武館を観ることであった。 ところが十津川村の観光案内や観光掲示板を見てもサッパリ出てこない。 マー適当に走っていれば案内くらい有るだろうと思っていたがいっこうに見当たらない。途中みやげ物店に立ち寄って聞くが「知らない」という、 「中沼了三先生を知らないの・・」、”ほんとにモー”と云う心境である。暫く走ってGSで給油しながら尋ねると、 「今の十津川高校が昔し文武館と呼ばれていた」とのこと。やっと分かったが既にそこは通り過ぎていた。 結局帰りに立ち寄ることにして一路川湯温泉へとひた走る。十津川村は日本一大きな村と言われるだけあって走っても走っても十津川村である。 ところが、十津川の眺めが何とも素晴らしく、幾ら走っても苦にならない爽快なドライブであった。

川湯温泉着17時45分。可愛い女将の出迎えを受け、温泉にゆったりと浸り、美味しい料理に舌包みを打ち、「代は満足じゃ・・」 とご機嫌で部屋に帰り、日本シリーズの観戦に挑むやいなやどうも爆睡状態にはいたらしい、お目覚めは丑三つ時であった。

多忙につき明日に続く

投稿者 ks110 : 13:18 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月20日

鮨 江戸時代築地店オープン

 

私の知人がこの度「鮨江戸時代築地店」をオープンした。

 昨年9月、麹町に一号店をオープンし、計画では年3店舗を順次オープンさせる予定であったが思うように物件(店舗)が見つからず、遅れにおくれやっとこの10月15日、2号店のオープンに漕ぎ着けた。出店に関しては私も少なからず応援しており、今後は私の中でも結構大きな比重を占めることになりそうである。そんなことで今週初めから東京に行っていたが、今度の築地店は素晴らしい。百聞は一見にしかず、万難を排して一度足を運んで欲しい・・。

 

鮨のメッカ、築地に殴り込みをかける勢いでの出店であり、店にも気合が入っているが従業員皆がそれ以上に気合が入っている。「味、ボリューム、価格、サービス、雰囲気」全ての点でご満足して頂けるはずです。

 

 場所、東京都中央区築地4?4?14 、

 電話 03?6278?0022、

東京メトロ・東銀座駅を築地方面へ徒歩3分、京橋郵便局の南角を右に100m程入った所に位置している。席数60席、白を基調としたゆったりとした店つくり。きっと気にいってくれるはず、騙されたつもりで一度行って下さい、ご満足頂けること請け合います。

 

 

 

 

投稿者 ks110 : 14:48 | コメント (1) | トラックバック

2006年10月11日

再チャレンジ社会と調査業

先般、所属するNPO法人全国調査業協会連合会から会報の原稿依頼があった。 戸籍や業法問題など投稿したい問題は色々有るが、やはり旬の題材に勝るものはなかろうと考え、安倍首相の 「再チャレンジ社会構築」の政策に調査業が如何に関わって行くか・・、そんな事を書いてみた。 また手抜きと叱られそうだが、今週はその原稿を添付する事にする。

「再チャレンジ社会と調査」             松谷 廣信

この度、内閣総理大臣に就任した安倍首相は「再チャレンジできる社会づくり」を政策の柱の一つに掲げ、 失業したり、事業に失敗したり、夢破れても何度でも挑戦できる仕組みや支援策を構築し、 「格差が固定化しないような社会」をつくるとしている。

可也漠然とした政策であり、これから徐々にその具体策が示されるものと思われるが、うたい文句としては、 国民の多くが望むであろう耳障りの良いものであり、大いに進めて頂きたいものと思う。

ただ、私はこの言葉を耳にした途端、「ワッ、これでまた調査業は叩かれるな!」と感じた。 日陰者の僻み根性がそう感じさせたのかも知れないが、調査業を否定的にみる頭でっかちの人権論者などが 「人事調査などは、失敗者の再チャレンジを妨げる最たるものだ・・、」と、今以上に、人権、 プライバシー、個人情報などを錦の御旗に掲げ、声高々と叫ぶ姿が目に浮かんできたのである。

そこで、真の調査とは如何なるものか。「再チャレンジできる社会づくり」と 「調査業」は決して相反するものではなく、寧ろ、切っても切れない密接な関係にあり、 共に手を携えて進まなければならないものである事を、限られた紙面ではあるが検証してみたいと思う。

第一に言えることは、調査は弱者を切り捨てるために行うものではなく、 調査は事実を知るために行うものである。人が人を信用するため、企業が企業を信用するため、 人が会社を信用するため、会社が人を信用するため、あらゆる相互間の信用・信頼を築く為の裏づけ、基礎資料を提供するのが調査である。 結果だけで人を判断するのはある意味簡単であるが人は決して結果だけで判断されるようなものではない。 破産者を破産と云う結果だけで判断するのではなく、破産に至る経緯や原因、 破産後の対応や態度など総合的な調査をして始めてその人の真の姿が見えてくるのであり、 「再チャレンジが出来る社会」は「調査の必要性」 を認める社会でなければならない。個人情報やプライバシーの名のもとに、調査を否定し、表面的な結果だけで人を判断するような社会こそ、 「再チャレンジを妨げる社会」ではなかろうか・・。

調査業務の大半は、人の生命、財産、安全を護るという崇高な使命を負っており、何が事実か、 何が本当かを調べ、事実に基づいた正しい判断をする為の基礎資料を提供するものである。ある意味、 人生の節目ふしめに於いてなくては成らない必要不可欠なものであると言える。ところが、何時の頃からか、 「調査は差別につながるおそれがあるから・・」との考え方から、調査=差別ととらえられるようになり、「身許調査おことわり運動」 に行政までが関与するに至った。そして、昨年の個人情報保護法施行後は、「個人の調査は保護法に触れるのでは・・」 などとのたまう人が出てくるまでに至っている。何時、何処で、どんな力が働いてこんなことに成ったのか分らないが、 思考する事を停止させられたマニュアル化人間と事なかれ主義の行政が、声の大きな一部の人に洗脳された結果ではなかろうか。大阪市の 「飛鳥会事件」などその最たるものといえる。今こそ我々調査業者は、自らの仕事に誇りを持ち、 調べることの大切さを世に問い、「再チャレンジできる社会づくり」に「調査業の必要性」 を訴えて行かなければならないと考えている。

 

投稿者 ks110 : 18:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月05日

JDMと娘

JDM(ジャパンデンタルミッション)というNPO法人がある。この法人は、 歯科医療をバヌアツ共和国及びフィリッピンのカオハガン島で提供している医療奉仕団体である。 JDMは私が所属する船場ロータリークラブの仲間である澤田宗久歯科医が代表を務めており、 バヌアツに年2?3回、カオハガンに年3?4回は行っている可也活動的な奉仕団で、1チーム10?15名で編成され、 20数年前から継続的に活動を続けている。

今回(9月16日から1週間)その医療奉仕団に娘(大学4年)がボランテイアで参加した。単純に、学生生活最後の思い出として・・ くらいの気持ちでの参加ではなかったかと思う。ところが帰国しての報告文(JDMに提出)を読むと、 娘の場合はボランテイアに行ったのではなく、大変な人生勉強に行った来たようである。

その報告書の一部を引用すると、「カオハガンは甲子園球場位の小さな島で、人口は450名内外。会社等というものはなく、 人々の生活は限りなく自給自足に近い原始的なものでした。それは「非文明」や「発展途上国」 といった言葉から想像していたどこか悲惨なイメージとは全く違い、とても穏かでそこに違う形の幸せがあるのを見せ付けられた気分でした。 ブランドの服を着ていなくても人々はとても生き生きとして美しく、子供たちはとても無邪気で、 名札を見て覚えた私の名前お見て連呼していました。道で会えば挨拶をしてくれ、椰子の実を割って分けてくれました。 休みの日にバイト先の上司に会うと挨拶すら億劫で、すぐ隠れてしまうような私とは違い、 とても純粋に人に対する興味を持ち続けている感じがしました。それは我々が「ストレス社会」 の中で引き換えにしてきた人間の根本的な美しさのような気がして、島での数日間はとても人と関わることが楽しく思えました。 幸福とは何だろう?ということを考えさせられた数日間だったと思います。幸せは自分の生活する世界と切り離しては考えられないため、 カオハガン島の幸せが私の幸せだとは思いません。それでも、学歴とか地位とか会社の規模という自分を飾る「箔」より以前に、 人間である我々が、その人間が持つ素晴らしさを失くしていくのはあまりに惜しい気がしました・・・。」、云々とあった。

「可愛い子には旅をさせよ」、そんな格言を思い出した。 

 

投稿者 ks110 : 11:02 | コメント (0) | トラックバック