猛暑
猛暑到来。まったく暑い、今年の夏は鍛えがいの有りそうな夏になりそう・・・、クーラーは余り使えないし、 久しぶりに幼少の頃の夏が味わえるかも・・・とは言うものの暑い・・・・。我慢してクーラー使ってないのだ・・・。
明日から東京出張、その為何かと処理しておかなければならない作業があり、ブログを書く時間がない。今週は暑さに免じて、ゴメン。
Posted on : 2011年06月29日 | コメント (0) | トラックバック (0)
履歴確認、経歴確認
久しぶりに紹介業に従事している古い友人より電話、「松谷さん、会社の簡単な信用調査だけど、遣ってもらえるだろうか?」、「遣るもやらんもそれが内の仕事ですがな・・・、それより一度顔見せてよ・・・」、
暫くして、その友人が会社に来てくれた。
昔話に花を咲かせた後、彼が言うには、最近登録者の中に経歴詐称が疑われる人が目立つようになって来た、面接していると何となく辻褄が合わなかったり、中には、昔登録に来た時の履歴と違っていたり等、明らかなものもあると言う。
人材紹介業は厚生労働省の許可事業であり、通達は絶対である。従って、履歴確認の調査は出来ないとのこと。登録者は、「経歴確認調査をしない事を知っているから、最近は平気で履歴詐称をしている感じもする」と嘆いていた。
この件に関しては、嫌と云う程、今までに持論を述べて来たので今日は避けるが、私が危惧していた状況が現実になりつつある様だ・・・。
東大卒や京大卒が相当増えているのは間違い無さそう・・・。
先月した調査でも、こんなのがあった。依頼者曰く、「某人の紹介で最近知り合った人がいるが、その人を信用して良いか否か調査して欲しい」とのこと。
話しによると、その人物、「うちの息子は東大医学部卒で・・・、娘はアメリカの大学を出て・・・」。それも、話のついで的なかたちでボソボソと喋るらしい。自分の事も色々と喋るが、特に自慢気に話す訳でもない。ところが、何処で飲み食いしても自ら払おうとはしないし、話しの割に貧乏くさい感じもする。もう一つ信用し切れない、とのこと。
話しを聞いただけで、「そら、止めておきなはれ・・・」と云いたい感じではあったが、こちらも商売。
結果は案の定、現住所さえ嘘であった。
ところが、今の個人情報保護を絶対視する風潮と役所の対応からすると、普通の人では、何一つ確認できないと思う。氏名、年齢、親子関係、夫婦関係、現住所、学歴、職歴、全て個人情報で、第三者が確認しようとしても何一つダメ。
調査のプロである、弊社の調査員も、最近はしょっちゅう頭を抱えている。ところが、昔は調査の為の予備調査で一円のお金にもならなかった事項が、個人情報保護のおかげで、1件何万円、何十万円と貰える世の中になってきた。喜ぶべきか、悲しむべきか・・・・?
全く困ったものだ・・・お上と云うのは!。
Posted on : 2011年06月24日 | コメント (0) | トラックバック (0)
心身統一法「神経反射の調節法」
神経反射作用の調節法
これは天風先生がヒマラヤ山脈の麓、 カンチェンジェンガのヨーガの里で修行中に体得されたクンバハカ法を基礎として、 神経学的理論と生理学的効果を解明し、 我々が日常生活で実践できる方法にして教えられているものである。
これはヨーガの密法の一つであり、教えられるものではなく、 修行を積んで体得する以外にはなく、一生かかっても体得できない修行者がいるくらいのものである。
ところが天風先生は3年弱のインドでの修行で、 カリアッパ聖者より 「出来た、 ヨシ」と、お墨付きを貰ったクンバハカを、私たちに具体的にお教え下さっている。
後で、その具体的方法、遣り方を説明しますが、簡単に言うと 「尻、腹、肩」 であり、尻の穴を締め上げ、 下腹に力を充実させて、肩の力を抜く、この体制を同時に行う方法です
説明だけを聞くと、なんだそれだけのことか、と思われるかもしれないが、実際はこれが中々難しく、 出来たようで出来ていないのがこのクンバハカである。
これは、身体にも精神にも非常に効果の高い方法であり、 これを完全に身につけると鬼に金棒である。
従って、真剣に継続してキッチリと身につけて頂きたくおもうのです。
そこで、出し惜しみをする訳ではないが、具体的方法を説明する前に、感応性能を積極化するのに何故この神経反射作用の調節を必要とするのかと云う事を説明する事とします。
人間には視覚、味覚、臭覚、聴覚、触覚の五感感覚で事物事象を捉え、末端神経から中枢神経を経て脳髄府に伝えられるもので、 神経系統というものは生命確保の中枢をなすものであるが、同時に高度の反射作用を有するものでもある。
刺激衝動(感覚・感情)⇒末端神経⇒中枢神経⇒脳髄府
五感感覚を通し受ける刺激衝動は細大漏らさず末端神経から中枢神経を通じ脳髄府に伝達されるが、実は、神経系統の反射作用と云うものは、 その人の心理状態によって伝わり方に大きな相違があるのです。
所謂、消極的で神経過敏になっている人は、僅かな感覚刺激や感情衝動でも大袈裟に強烈に伝わる、 とくにそれがマイナス的な消極的なものであればより一層大きく伝わり、その反応も大きくなる。
特に現代に生きる人は、 あらゆる方面からの過剰な刺激のために、感覚神経はひっきりなしに興奮し、過労により疲労し、神経過敏になっている人が非常に多い。
中年のサラリーマン層には鬱病などの精神疾患にかかっている人が増え、 若者の多くは非常にキレ易くなっている傾向がある。
これは、多忙で刺激衝動の多い社会に生活しているため、自然とストレス過多となり、神経過敏に陥っているが為と考えられている。
これらの刺激衝動が人に与える影響は、その元の大きさによるのではなく、心の知覚した分量によるのです。 これは、神経の反射作用によるものです。
また、これは自律神経にも大きな影響を与えます。
自律神経は交感神経と副交感神経の2つからなり、 外的刺激は交感神経を通じて伝えられるが、その刺激に(怒り、悲しみ、恐れ・・・)より、交感神経が直ぐに反応し、瞳孔が開いたり、 血圧が上がったり、血糖値が上昇したりなどする。反対に、副交感神経は、 交感神経の興奮により引き起こされた諸器官の変化を元に戻そうとする役目をしている。
これら神経叢は、その時の怒りや、悲しみや、恐れなどショックが強すぎたり、何回も何回もショックが繰り返し起こったりすると、 この2つの神経では対応しきれなくなり、自律神経失調症などの心身症が生じたりする。
そこで、そうならない為にもこの刺激衝動、所謂、ショックやストレスに対処する方法を身につけておかなければならない。
こうした、刺激衝動、ショックやストレスが神経を通し脳髄府に伝わる、その前に体勢を整え、刺激衝動を緩和し調整して、 神経に及ぼす悪影響を和らげる方法が、神経反射の調節法であり、天風会ではこれを「クンバハカ」 と称している。
天風先生がインドで如何にして体得したか・・・ ・
具体的方法
尻、腹、 肩の三位一体
1、肛門を閉める (仙骨神経叢の動揺を防ぎ、骨盤神経の安定わ保つ)
2、肩の力を抜く (横隔膜神経叢の動揺を防ぎ、自律神経の安定を保つ)
3、下腹(丹田) に力を込める(腹腔神経叢の動揺を防ぐ)
4、刺激の強烈な時には一瞬息を止める
で、1から3までを同時に行い、完全クンバハカはその体勢で一瞬呼吸を止めるのである。
先ずは尻をしめる練習、
事あるごとに行う。歩いても、座っても、立っても、最後は寝ていても尻の穴が閉まっているまでに、
意識的に行い、そのうち、無意識にも出来るようになる。すると閉まったものだ・・・。
こうした体勢が完全に取れると、心身が調和し、生命力が充実し、霊体化した状態となり、人間の真正な状態を作る事が出来るのである。
また、こうした体勢が作られるとオーラが出て来るようになる。
応用法
活力吸収法(プラナヤマ) 、日に何百回、何千回
活力移送法
養動法
神経系統の異常興奮を抑える
活力の分布を平均化する
内臓筋肉のつり、のび、凝りを緩和する
運動不足を補う
姿勢を正しく矯正する
Posted on : 2011年06月17日 | コメント (0) | トラックバック (0)
心身統一法「積極観念の養成法」
今日は、「積極観念の養成法」について
積極観念の集中法
積極観念の集中(養成)は、観念要素の更改が潜在意識に働きかける方法だったのに対し、実在意識(顕在意識)の働きかける方法である。
潜在意識が積極化されれば、自然、実在意識も積極化される事になるので、敢えて、積極観念の集中法をしなくても良いのでは無いかと考える人がいるかも知れないが、 長年、消極観念で生き、神経過敏になっていた多くの人は、観念要素の更改で潜在意識の強化に努めながらも、現実の日常生活では、 何時しか知らず知らずに消極的方面に感化される怖れが大いにあるためである。
この方法の心がけは、日常生活の中で、常に己の心を明るい方向に明るい方向へと向ける事である。もっと、極端に言えば、 人生を暗くするような出来事だと分かっていても、心は明るく保つように努めることである。
これは言葉で言えば、それまでのことですが、自分の心に自分で働きかけ、本能的に受ける感情や感覚を、 恣意的に自分が思う方向に向ける事であり、それを習い性とするには、それ相応の努力が必要である。
古歌にも「なせば成り、 なさねば成らぬものなるを、成さぬは、おのが成さぬためなり」と云うのがあるが、真人生に生きんとするには、 「なす人」 にならなければならない。
ではその方法とは(実践要項は)・・
? 内省検討
? 暗示の分析
? 対人精神態度
? 苦労厳禁(取り越し苦労厳禁)
? 正義の実行
1、 内省検討
自分が思っていること、考えていることが、積極か消極かと云う事、即ち自己の心的態度を客観的に観察し批判することです。
これは事物事象の良し悪しを観察、批判するのではなく、その事物事象に対する自分の心の態度がどうか?、積極か消極かということです。
これは意外と難しい。従って、常に自分の感情を交えないで、客観視して観る癖をつけるよう、意識して努め、 習い性とする必要があるでしょう。
2、 暗示の分析
これは多面から来る暗示が積極か消極かということを分析批判することです。
そして、積極的なものは受け入れ、消極的なものは断然排除することです。
特に現代社会は消極暗示で充満しており、社会的に大きな影響力をもつマスコミが完全に麻痺しており、 消極的な方面からしか報道しなくなっていると云う事を認識し、厳しく分析批判する必要があります。
同様に、友人や会社やなど、日常生活で接しる人や物にも十分気をつけ、消極的なものに引きずられないよう気をつけなければなりません。
3、 対人精神態度
これは読んで字の通り、人に対する時の自分の心の態度のことです。
少なくとも天風会員は、人に接するときに、相手を消極的にするような態度や言動をとってはなりません。
事情の如何を問わず、人に接するときは、明るく、朗らかに、活き活きと、 勇ましくあるように努めなければなりません。
特に悲運の人や病気の人に接する時は気をつけ、同情して相手に引っ張られるような事があってはなりません。できるだけ鼓舞し激励して、 相手を元気つけてやりましょう・・・・。
即ち、相手に積極的な暗示を与えてやるようにすることです。
4、 苦労厳禁
過去苦労、現在苦労、未来苦労(取り越し苦労)がある。
過去苦労、
過ぎ去った事をあーでもない、こうーでもないと考え、暗く落ち込む人がいるが、こんな苦労からは何も生まれない。ただ、過去を顧みて現在、 未来に反映させる為の検討はまた別である。所謂、過去を振り返る心の態度がどうかと云うことであり、 振り返って落ち込むような振り返り方はダメだということです。
現在苦労
心は現在を要す。過ぎたるは追うべからず、来たらざるは向うべからず。
人は死ぬべきものであるが、死ぬまでは生きている。
未来苦労(取り越し苦労)
取り越し苦労ほど下らぬものはない。それは、いたずらに心のエネルギーを消耗するだけのことだ。
取り越し苦労というもんは全て消極的観念から発せられるものである。
自分で自分の心のスクリーンにお化けの絵を書いて、自分で恐れたり驚いたりしているような、滑稽なものである。
ただ、未来の事を考えるなと云うのとは違う。所謂、これも過去の反省と同様で、将来の事を考えるにしても、 その心の態度が積極か消極かと云うことであり、消極ならば取り越し苦労になり、積極ならば建設的なものとなるのである。
5、正義の実行
正義の実行といえば、何かたいそうで凄く難しい様に思われがちであるが、決してそんな難しいものではない。
人間誰しもが持っている「本心」 「良心」にもとらない行動をすればよく、心に疚しさを感じな行いをする事である。
だから、一寸勇気を出して、その場その時に、自分の心で感じた、本心良心で感じた事を実行するように努めることです。
朝、道端でお会いした人に「おはようー」と声を掛ける。電車にすわっていて、しんどそうな老人や妊婦に席を代わってあげるとか、 雨にぬれているひとに傘を差し出してあげるとか(雨あめ振れふれ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな・・・、あれあれあの子はずぶ濡れだ、 柳の木陰で濡れている、、母さんのお傘を貸しましょう・・・)
そんな事から始めればいいと思う。
相手が喜ぶ事をしてあげる。させて貰う。自分の本心良心を喜ばせてあげる。そんな事に努めましょう。
何れも、この積極観念の養成法は、実在意識に働きかける事であり、常に意識して、自分を客観視しながら、 習い性となるよう努めなければならいことです。
Posted on : 2011年06月16日 | コメント (0) | トラックバック (0)
心身統一法「観念要素の更改法」
先週に引き続き心身統一法について。
先週は概論を書きました。今日はその実際方法についての解説、?観念要素の更改法です。
観念要素の更改法
心身統一法の概論で、心を積極的に把持する必要性について十分にご理解頂けたと思います。そこで、今日は如何にして心を積極化するか、 その方法論の第一番目、「観念要素の更改」についてお話致します。
既にお聞きの通り、心の強い弱いは、「感応性能」の働きが強いか弱いか、 積極か消極かという事に比例するということです。
そこで、第一に理解すべきは、人間の心で思うこと、考えることの根幹は、観念要素であるということです。
そして心で思うこと考えること、即ち思考というものが、いちいち物の声に応じるように「感応性能」に反映されるのです。
ということは、消極的な思考をすれば官能性能は消極化し、当然、精神生命も消極化してしまうのです。逆に、積極的思考が、 感応性能を積極化し精神生命を積極化させることになるのです。
人間の思考作用というものは、心の表面、 即ち実在意識領で行われている。ところが、 全てが実在意識かと言えば、そうではなく、実際は心の奥深く、「心の倉庫」とも言われる潜在意識領で作られているのです。
そして、その観念の要素となるものは、この潜在意識領内にあり、 この観念要素が消極的だと、顕在意識(実在意識)で物事を積極的に考えようと努力しても、断然無理と云う事になってしまいます。
即ち、積極精神を作るには感応性能を積極化しなければならないが、 その因子となる観念要素は潜在意識領内にあるため、 この潜在意識を積極的にしなければ、顕在意識で幾ら努力しても無理があるのです。
しからば如何にしてこの潜在意識を積極的なものに更改するかですが、 ここで天風先生が考え出されたのが暗示感受作用の応用です。
人間には元々暗示に感じる習性があり、この作用を応用することにより、観念要素の更改、 即ち潜在意識を更改することが意外と簡単にできるのです。
一般的に暗示となるものは、?言語、 ?文字、?行動、?現象、などであり、ありとあらゆる事物事象が、悉く暗示となるのです。言い換えると、 この世は暗示によって支配されており、我々は暗示の世界に生きているといっても過言ではないくらいなのです。
ところが現代の世の中はマイナス暗示で充満しており、特に、 マスコミは消極好きで、新聞、ラジオ、テレビなど目に映るもの耳に入るものの大半がマイナス的なものです。従って、今の世の中では、 マイナス思考が持て囃され、過去、現在、未来をマイナスで彩ると、何となく賢くて情があって思いやり深い人のように思われている。従って、 ある意味、弱者に情を掛け、一緒に悩み苦しみ、一緒になって「大変ね、大変ね・・・」と遣っていると、 あの人はとてもいい人だということになる。
ところがどっこい、そんな事では絶対に望むような「幸せな人生」にはならない。
人間は元々暗示に同化感化する習性があるが、全てに等しく同化感化するのではなく、 心の弱い人は消極的な暗示に感化し、積極的な暗示は受け入れない。従って、逆に強い人は、積極的暗示には感じるが消極的なものは拒否する。
特にこの傾向は他面暗示に顕著に現れる。
ところが、この傾向は自己暗示では少なくなり、 自己を改善しようとか向上させようとする場合は、心が弱い人でも、自分で自分に積極的な暗示を掛けると、 その自己暗示を受け入れる傾向がある。
そこで、自分で自分に暗示を掛ける「自己暗示誘導法」を用いて、 観念要素を更改する方法を創建した。
自己暗示誘導法には
1、 連想暗示法
2、 命令暗示法
3、 断定暗示法
4、 付帯要項
? 日常の言行
? 感謝の生活と3行
? 3忽の実行
1、 連想暗示法
この方法は、意識的に積極的思考を作り、それを自分の心に思念連想する方法です。
古来からわが国にある「座禅」などもこの方法の一つとされる。しかし、 多忙な現代人には中々その時間と余裕がない。
そこで、天風先生は、誰にでもできる簡単な方法を考え出された・・。毎夜、 寝際の際は大脳に静止作用が働き、暗示を受けやすい状態になっている。この時を利用して、 自己暗示を掛けると効果が倍増する。 従って、寝床に入ったら、嫌なことやマイナスの事は一切考えないようにする。そして、楽しいこと、積極的なことのみを考えるように努める。
人間の頭は2つの事を同時には考えられない。従って、嫌な事はすべて明日に考える事として、 寝床に入ったら、無理にでも楽しい事を考える、それでもダメなら、明るくなるような本を読むとか、 天風会関係の本や誦句集を読むようにしたらよい。
とにかく、どんな方法でも良いからマイナスは寝床に持ち込まないことにするのである。
ここで一つ理解しておかなければならないことがある。意外と多くの人は眠るという事を余り重要に思っていないようであるが、 本当は眠ると言うことは、生命にとって物凄く大切な事なのである。
何故なら、睡眠というのは自然の力と人間の生命が交流結合する時である。
人間お生命は、自然の力の中にあるブリル(気)というものでいかされているが、 この活力が睡眠時には、何の妨げも無く、全体に完全に供給される時なのである。所謂、神人冥合の時であり、大脳に静止作用が働き、 この静止作用が生じると、活力をより多くスムーズに受け入れることができ、同時に、昼間消費したエネルギーを補充するのである。
この事からも、寝がけの心持が如何に大切であるかと云う事が分かると思う。
次に行うのが、命令暗示法である。
これは自分に自分で命令する方法で、小さな手鏡を持ち、手鏡に映った自分に対し、自分が成りたいと思うことを具体的に一つだけ、 小さく言葉に出して、二人称で命じるのである。
コツは、手鏡、真剣、眉間、小声、一つの事を具体的に、一回限り、成就するまで一つの事を続ける。
例、信念、吃音、数学、夜尿症などなど
断定暗示法
これは、命令暗示法と並立して行う。
昨夜、寝がけに命令した事項を、目覚めと同時に、今度は一人称で、自分は、信念が強くなった、と断定する。この時は鏡は使わなくともよい、 そして、一度ではなく、日に何回でも行うほど良い。ただ、これは命令暗示と対になっているので、命令した暗示を成就するまで行うのであって、 自分が成りたい、色んな事項を日替わりで行ったのでは効果は薄くなる。
コツは、寝起き、命令と対、真剣に、一人称、日に何度でも、
付帯事項
1、 日常の言行
日常の言行に気をつけ、積極的言行で生きることである。
言語には強烈な暗示力があり、積極人生を志す者は、消極的言語は例えどんなことがあっても使わない、 との心がけをしなければならない。
考えてみるに、消極的な言語、困った、まいった、情けない、遣っていられない、頭にきた、等など・・・、そんな言葉を吐いた後、 気持ちはどうかと云うことである。
また、その言葉からは何の解決にもならない・・、ところが現代人の多くは、消極的な言動が謙虚で優しく、 情のある人の様に思われる傾向がある。特に、最近の若者言葉の中に、消極心を短くして連発する様な傾向が目に付く。大いに、 学校教育などでも気をつけて欲しいとおもうところである。
2、 感謝の生活と三行
先ずは不平不満を口にしないこと。不平不満からは何も生まれない。
不平不満があるから向上心が沸くというのは間違い。
感謝の実行。嬉しいことに感謝するのではなく、感謝する心に楽しさ、嬉しさが出てくる。
西洋の教え「感謝念の薄い人の人生には、幸福の女神はその慈愛の手を伸ばさない」と云うのがある。
事物事象を見るとき、個人的な自己本位の考え方でみないで、大所高所から広く観察すようにすれば、自然と感謝念が沸いてくるようになる。
常に正直、親切、愉快に生活する。
誓いの言葉、今日一日、・・・・
3、 三忽の実行
怒らず、怖れず、 悲しまず
こうした消極感情の発作は、活力を著しく減退させる。下らないことで怒らない。 「真に怖れるべきは真理なり」 「悲観は身を殺し、 憤怒は悪魔の息吹なり」
叱ると怒るは違う。
Posted on : 2011年06月15日 | コメント (0) | トラックバック (0)
心身統一法について
財団法人天風会、「心身統一法」について少しご紹介させて頂こうと思います。一昨年から 「心神統一法」の講師研修養成講座を受講しており、今年ようやく受験資格ができ、一次試験 (ペーパー試験)は一応合格。そこで2次試験(講義実演)に向け、講演の下書き原稿をしたためました。
内容はともかく、原稿作成にはそこそこ時間を要したが、発表の機会に恵まれず、パソコンの中に眠っているので、 このまま埋もれさせてしまうのも勿体無いと思い、勝手にこのブログで投稿しようと思いたったしだいです。
講演30分用の原稿なので、結構長く、堅苦しいものと思いますが、少しでもご興味のある方はお目通し頂けたら幸いです。 天風教義のなんたるかが少しは分かるかも知れません・・・。
心身統一法について(公開講演用)
故中村天風哲人が説かれた心身統一法(道)について、その概要と言いますか、入り口の部分を大まかにお話させて頂こうと思います。
古今東西永遠のテーマとも言うべき事項、それは、
「人間とはいったい如何なる存在なのか?」、
「何の為にこの世に生まれてきたのか?」
「人が幸せになるにはどうしたら良いだろう、幸せって一体なんだろう?。」
そんな、素朴ではあるけれど、誰もが思い悩んできた、永遠のテーマにお応えし、しかも、誰しもがこの教えを信念し実行すれば、必ず幸せになれると云う方法、即ち 「幸せの方程式」を、 手取り足取り具体的に、そのノウハウを教えているのがこの心身統一法です。
先ず、人間はいったい如何なる存在か?
幸福なものなのか、不幸なものなのか?
このテーマに天風先生は、一言で明快に断定しておられる。
「人は皆、 生まれながらにして等しく幸せに生きられる様に作られている」と、
また、人はこの世に何の為に生まれてきたのか、についても、一言で明快に、「人は宇宙の向上と進化」と云う、大使命を負って、生まれてきたと。
そして、その使命を果たせる様に、人間には生まれながらにして、絶大なる力が与えられていると、説く。
そして、その力を発揮することによって、人として生まれがいのある、有益で幸せな人生を送る事が出来るのである。
しからば、如何にしてその力を発揮させるかである。
人には元々、潜勢力と云う絶大なる力が誰にも等しく備わっている。
その潜勢力については、偉大な哲学者、スエット・マーデンやイマニエル・カントやトーマス・ カーライルもそれぞれの著書の中で述べておられる。
そして、この潜勢力なるものは、宇宙の進化と向上とに寄与する為、 本来の使命を果たすために与えられているのです。
先ずはこの事を信念化しなければならない。
所謂、「人間の真正な価値を認識する」ことである。
そんな力などあるわけが無い。人生なんて所詮、苦しく辛いもので、幸せになどそう簡単に成れるものではない、 と思い考えている人が現在の世の中には非常に多い。
しかし、そう考え思っている人は、結果的にそうなるかもしれない。
ある意味、人生は、その人の「思い方、 考え方」、次第でどうにでも成る。
「人は右へ行こうと思うから、右へ行く」、 「左へ行こうと思うから、左へ行く」のです。
従って、幸せになれると思わなければ幸せになどなれません。
人間に備わっている偉大な力、潜勢力も、元来備わっている、 のだと先ずは思はなければ、発現はできません。
だから、先ずはそう信念する事から始めなければならない。
お釈迦さんも「信なきものは救われず・・ 」とおっしゃっているが、その点は非常に重要です。ただ、そう信じなさいと言われても、 現代の人は色んな知識や情報を一杯持っており、簡単にハイ分かりました、とは上手く行かない。ところが、実際に遣ってみて効果がでれば、 体感すれば、信じない訳には行かない。だから、天風先生は、先ず遣ってみなさい、実行してみて下さい、とおっしゃる。そして効果を体感し、 それが信念化できれば、後はしめたもの。
ところが、その方法が分からない。ただ、考えてみて下さい。この東京、この日本、現代のこの地球を、誰がここまで発展させたでしょう。 サルや鳥や犬ではない。
桃太郎はサルや鳥や犬の力を上手く借りて、思いを遂げた様ですけど、紛れもなくこの世は人間が、この手で作ってきたのです。
誰しもが持っている力を発揮し、この地球を作り上げてきたのです。この現実をみても、犬やサルと違って、人間の力が如何に凄いか、 一目瞭然だと思うのですが、如何ですか。まさに人間は万物の霊長なのです。
そして、いま一つは、「報償の法則」です。人生の事柄、一切合財は全て、 その人の蒔いた種子の通りに実現するのです。
しかも、この法則は飽くまでも厳粛で公平です。
善因善果、悪因悪果は人生の鉄則なのです。
この事も肝に命じて置かなければ成りません。
種を蒔かないと花も実もできないと同様、如何に素晴らしいものでも知っただけではダメです。実行しなければ結果は実りません。
先ずは信じて行うことです。報償の法則で遣れば少なくとも遣っただけの結果は出ます。それが公平です。平等ではない、公平です。
先ずはその事を知って、自分の人生、真人生を建設しなければならない。
真人生の建設には、生命力の充実とその発現が必要である。
人の生命には、体力、胆力、精力、能力、 判断力、断行力と云う6つの力が備わっており、 この六つの力が十分に発揮されないと、真人生の建設はおぼつかない。
しかも、真人生とは、長くて、強くて、 広くて、深くなければならない。長くて、強くて、広くて、深い、真人生を送るには、先ず、体と心を統一させて使わなければなんらない。
ところが、現代人の生活法は、
1・本能本位の生活、2. 感情本位の生活、3.理性本位の生活、4.信仰本位の生活
5.霊性本位の生活
人間の生命は、そもそもどう云う内要素を持って作られているかと云うと、
「霊魂を中核として精神と肉体が密接不離」 の状態の下に結合されている。
即ち、心と体とが打って一丸とされたものが人間の命の真の姿である。
そして、心身の統一された生き方が、人間の本来の面目に即応した純正な生き方なのです。
所謂、人間の本来の面目は、心身一如である、 と云うことです
そこで結論的に言えば、人生の一切をよりよくしてくれる潜勢力と云う生命内奥の力の発言は、人間の命のありのままの姿、 心身一如の状態を確保する為に、心身を統一して生活することによって、確保されるのです。
では、心身の統一された生活とは、どんな状態かというと
精神を?「精神生命の法則」、 肉体を? 「肉体生命の法則」に順従して生活する事です。
心身統一の原則は、 自然法則順従なのです。 所謂、 心は心の法則、体は体の法則に従わせなければならない。
そして、心身を統一した生き方をすると「気」の収受分量が増大し、命の内容量も増大し、 これが心の力、 体の力となる。
この「気」 と云うものは、人間が生きるのに必要な「力」「生命力」の根源であり、人間は「気」によって生かされているのである。
心身統一の原則
1. 生存の原則(生存の確保)――自然法則に順応
心は本然即応 体は条件調和
2.生活の原則――効率促進
心は精神統一 体は訓練的積極化
具体的には、 心の本然即応とは、霊性心(本心+良心) に即応させることであり、 心を常に、尊く、強く、 清く、正しく、持つことであり、具体的行動としては正直、親切であること。
本心良心が喜ぶ言動を取ることに努めることである。
体の条件調和は、 自然法則に順応させ、 感覚器官を鍛錬し、環境に調和させ、自律神経に働きかけて自然治癒力を高め、新陳代謝を活発化させる。
また、 生活の原則としては、 効率促進であり、 心は統一して使用し、体は訓練的に積極化する。そして、 統一道とは積極と統一である。
心は積極的に持ち使うときは統一して使う。体は自然環境に調和させ訓練的に積極化して行くことである。
また、心と体の関係であるが、あくまでも心が川上で体が川下にあたる。心が体に及ぼす影響は100%であるが、 体が心に与える影響は必ずしも100%ではないことでも判る。
例、縁台将棋とか・・・
そこで先ず、心を積極化する事が先決問題となる。
天風先生は、奔馬性結核にかかった事で心が弱くなり神経過敏になった。玄洋社の豹と呼ばれ、軍事探偵として満州で大活躍、 貼り付けの死刑台にあってもビクともしなかった心が、病気に成っただけで、何故こんなに弱く過敏になったのか・・ それが知りたくて猛勉強をし、教えを求めてアメリカ、ヨーロッパを回り、縁あってヨーガの聖者、カリアッパ氏に会い、3年の修行を経て、 帰国。
その後も研究に研究を重ね、心の積極化法を創建したのである。
研究を重ねた結果
自分の心が弱くなったのは感応性能が弱くなった事に気づく。
感応性能は精神生命に固有されるものであり、 事物事象を感受したり反応したりする心の働きを云うのである。
が、ただ単に、その動き、性能を名づけたのではなく、精神生命に固有されたものであり、体に心臓があるように、 心の心臓と捉えても良いのではないかと、私は個人的に考えているが、何れにしても、事物事象を感じ知覚する、その以前に、 感応性能と云うフィルターを通る。
このフィルターが消極的だと消極的なもののみを通し、積極的なものは拒絶してしまう。逆に、積極的だと積極的なものを通し、 消極的なものを拒絶する事を行う。
そこで、心を積極化し生命の力(ブリル)をより多く取り入れるには、この感応性能を積極化しなければ成らないと気づき、 この感応性能の積極化法を心身統一法と名づけたのである。
そして、心を積極化する具体的に定めた。
1、 観念要素の公開法
2、 積極精神要請法
3、 神経反射の調節法
であり、
4、 精神使用法
としたのである。
事物事象⇒五官感覚⇒神経⇒知覚⇒認識⇒思考⇒言動
ありがとう御座いました。分かったようで分からないと思いますが、所謂、 心神統一法は心の積極化法であり、感応性能の積極化法で、上記の4項目を実施することなのです。そこで、 次回から1項目づつ4回連続で投稿する事にします。
すでに用意できている原稿なので、頻度を上げて更新する事につとめます。
Posted on : 2011年06月07日 | コメント (0) | トラックバック (0)
その後のサボテンの花
先週金曜日、1年に1日しか咲かないサボテンの花を紹介し、多分、土日にひとり淋しく咲いて、花の生涯を終えるであろう的なことを、書きましてが、今朝来てビックリ。
何と、サボテンの花が、私を迎えて呉れました。「感謝感激」、見てやってください、この必死に咲く姿を・・・


しつこい様だけど今日一日だけの命です、しっかり見てやって下さい・・・




でも、夕方にはこの姿・・・・

Posted on : 2011年06月06日 | コメント (0) | トラックバック (0)
サボテンの花
2週間のご無沙汰でした。
更新しなければと気にはなっていましたが、何となくバタバタし、東京出張も重なり、その上、時々このブログでも紹介している「天風会、心身統一道」の講師試験もあったりで、結果的に2週間ぶりと云う事になりました・・・反省・・・。
今週5月29日(日)は近畿国賀会(隠岐、西ノ島町出身者で構成する郷土会)の総会でした。毎年の事ながら町長他町議会議長や観光協会会長さんなど、町の重鎮が多数上阪し、出郷者との懇親を図り、また、田舎の綺麗どころが踊りに歌と、それは賑やかな会です。私も以前この会の会長をしていた事もあり、何がなんでも出席しなければならないのですが、今年はどうしても参加できず、夕方5時過ぎに2次会の場に何とか駆けつけたと云ったしだいでした・・・。
話しはコロっと変わりますが、「サボテンの花」ってご存知ですか?。以前にもこのブログで何回か紹介したと思いますが、今年も見事に咲いてくれました 。

私は、サボテンの花と云うのは1年に1度、1日だけ、しかも一輪しか咲かないと思っていました。と云うのが、3年程前まで、このサボテンはそうだったのです。ところがところが、昨年からこの様に見事な花を一度に3輪も4輪も咲かせ、今年はこの通り5輪咲かせました。1日24時間だけと云うのは変わりませんが、それはそれは見事です。よく見てやってください・・・。

夜、帰宅した時の映像、きった明日の朝には咲いているだろうと思い、撮ったもの。

その通り、翌朝見事に咲いていた。毎年、このサボテンの花を見て思うのだが、兎に角、「精魂こめて一生懸命に咲いている感」が、無茶むちゃ漂っており、確り見てやらないとサボテンに申し訳ないと思うのです。
ところが、このサボテンの子(会社に置いている)が、親に負けじと数日前から蕾を膨らませている。何とか頑張って金曜日にと叱咤激励していたが、今(6月3日午後4時)がこの状態、多分咲くのは明日の土曜か明後日の日曜、と云う事は、誰にも見てもらえず、ひとり淋しくと云う事になる?。それでは余りに可哀そうなので、つぼみ姿ではあるがせめて見てあげて下さい。


何れも弊社の裏の階段に並べられているサボテンです。我が家のサボテンの子供で、まだ若のですがよく頑張っています。褒めてやって下さいネ・・・・。
Posted on : 2011年06月03日 | コメント (0) | トラックバック (0)





