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2007年08月22日

故郷のお盆行事

■プライベートな話■

 今年も望郷の念にかられ、8月14・15・16と2泊3日で里帰り。私の故郷は日本海の孤島、「隠岐之島」である。過去何回かこのブログでもふれたが、隠岐之島は、本土(島根半島)から約60キロの日本海に浮かぶ孤島で、往時は、日本海の 「風待ち港」として大いに栄えた所であり、江戸から明治にかけては今より遥かに賑わっていた所である。 隠岐之島は大きくは、島前・島後の二つからなり、島前は、 西ノ島・海士島・知夫里島の三つからなる。で、 私の出身は西ノ島である。 西ノ島というのは風光明媚で知られる隠岐之島の中に在っても一際美しい「国賀海岸」を控える、それはそれは美しい島である。人口は約4,500人で16の地区からなり、 小生が生まれ育ったのは戸数60戸程の「大山」と呼ばれる地区である。この大山地区がまた素晴らしい・・。何が素晴らしいか・・?、と言われても一寸困るが一言で云えば、 「何も無いのが素晴らしい」。

 そんな素晴らしい大山地区で生涯を過ごした義姉が昨年暮れに他界した。 従って今年は「初盆」、望郷の念もさることながら初盆は帰らなければならない。

 そこで、故郷のお盆初盆行事についてふれてみる事にする。

 お盆の行事は宗教行事(仏教)であり、全国そう大きくは違わないと思うが、隠岐では今でも14日・15日の2日間、 お墓の周囲に綱を張り、その綱に旗をつける。旗というのは、七夕の短冊を大きくした感じのもので色紙に切り込みを入れ、 「南無阿弥陀仏」「南無大師遍照金剛」と墨書きしたものである。 この「はた」と呼ばれる短冊を、自分の家の墓は勿論、親戚縁者の墓につけてまわるのである。それも夕方5時過ぎから7時位までの間にまわる。 従って、僅か60戸の小さな地区ではあるが、この2日間の夕方のお墓だけは大変な混雑となる。しかも年に一度の里帰り、 100人が100人顔見知りであり、1・2歩あるいては「今日は・・・」「帰らしゃんしたかの・・・」 等と声を掛け合い挨拶をしなければならない。これはこれで楽しいと云うか大変と云うか・・・故郷ならでは一コマであり、 盆行事の一つとも云える光景である。また、初盆の家には、僅かばかりの御香料を持ってお参りに行く。 そこでまた僅かばかりの時間でも家に上がって挨拶をする、これも中々大変である。僅か60戸の小さな地区で、何と今年初盆の家が6軒、 全体の10%である。如何に高齢化が進んでいるかの証であり、初盆が6軒、出産はゼロ、これもまた大変な事である。

 翌16日の朝は、初盆の家は全長1メートル強の帆船(精霊船・ シャーラブネ)を造り、この船に野菜や果物など仏壇に供えてあった物を載せ海に流すのである。 同じ西ノ島町でもこの行事は地区によって違い、大山は初盆の家が個別に船を造って流すが、他の地区の多くは、 小学校高学年から中学生が中心になり、大型の精霊船(藁舟)を造って流す。 これは子供にとっては大変な行事であり、夏休みの約半分はこの船造り作業にとられる。昔は集会場に泊り込みで行い、 そこでは先輩後輩のけじめなど色んな意味での勉強があった様である。この精霊船(藁舟)は大きい船だと20人ほどの大人や子供が乗れる物で、 しかも12時間くらいは海に浮かび続けるものでなければならない。

 精霊船に乗って先祖の霊が帰って行くと、お盆行事は一通り終わる。そこで、当日夕方の船に乗り帰阪、 我が家に着いたのは深夜12時をまわっていた。かくして小生の短い夏休みは終ったのである。

 15日朝4時45分、大山の家(兄の家)の2階から携帯で撮影、大山湾の日の出前。

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15日朝5時00分、大山の家(兄の家)の2階から携帯で撮影、大山湾の日の出。

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 地区の小中学生が中心になって造る大型の精霊船。帆はお墓にあげるハタでつくられている。 


     

投稿者 ks110 : 2007年08月22日 15:06

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