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2006年10月11日
再チャレンジ社会と調査業
■探偵のひとり言■先般、所属するNPO法人全国調査業協会連合会から会報の原稿依頼があった。 戸籍や業法問題など投稿したい問題は色々有るが、やはり旬の題材に勝るものはなかろうと考え、安倍首相の 「再チャレンジ社会構築」の政策に調査業が如何に関わって行くか・・、そんな事を書いてみた。 また手抜きと叱られそうだが、今週はその原稿を添付する事にする。
「再チャレンジ社会と調査」 松谷 廣信
この度、内閣総理大臣に就任した安倍首相は「再チャレンジできる社会づくり」を政策の柱の一つに掲げ、 失業したり、事業に失敗したり、夢破れても何度でも挑戦できる仕組みや支援策を構築し、 「格差が固定化しないような社会」をつくるとしている。
可也漠然とした政策であり、これから徐々にその具体策が示されるものと思われるが、うたい文句としては、 国民の多くが望むであろう耳障りの良いものであり、大いに進めて頂きたいものと思う。
ただ、私はこの言葉を耳にした途端、「ワッ、これでまた調査業は叩かれるな!」と感じた。 日陰者の僻み根性がそう感じさせたのかも知れないが、調査業を否定的にみる頭でっかちの人権論者などが 「人事調査などは、失敗者の再チャレンジを妨げる最たるものだ・・、」と、今以上に、人権、 プライバシー、個人情報などを錦の御旗に掲げ、声高々と叫ぶ姿が目に浮かんできたのである。
そこで、真の調査とは如何なるものか。「再チャレンジできる社会づくり」と 「調査業」は決して相反するものではなく、寧ろ、切っても切れない密接な関係にあり、 共に手を携えて進まなければならないものである事を、限られた紙面ではあるが検証してみたいと思う。
第一に言えることは、調査は弱者を切り捨てるために行うものではなく、 調査は事実を知るために行うものである。人が人を信用するため、企業が企業を信用するため、 人が会社を信用するため、会社が人を信用するため、あらゆる相互間の信用・信頼を築く為の裏づけ、基礎資料を提供するのが調査である。 結果だけで人を判断するのはある意味簡単であるが人は決して結果だけで判断されるようなものではない。 破産者を破産と云う結果だけで判断するのではなく、破産に至る経緯や原因、 破産後の対応や態度など総合的な調査をして始めてその人の真の姿が見えてくるのであり、 「再チャレンジが出来る社会」は「調査の必要性」 を認める社会でなければならない。個人情報やプライバシーの名のもとに、調査を否定し、表面的な結果だけで人を判断するような社会こそ、 「再チャレンジを妨げる社会」ではなかろうか・・。
調査業務の大半は、人の生命、財産、安全を護るという崇高な使命を負っており、何が事実か、 何が本当かを調べ、事実に基づいた正しい判断をする為の基礎資料を提供するものである。ある意味、 人生の節目ふしめに於いてなくては成らない必要不可欠なものであると言える。ところが、何時の頃からか、 「調査は差別につながるおそれがあるから・・」との考え方から、調査=差別ととらえられるようになり、「身許調査おことわり運動」 に行政までが関与するに至った。そして、昨年の個人情報保護法施行後は、「個人の調査は保護法に触れるのでは・・」 などとのたまう人が出てくるまでに至っている。何時、何処で、どんな力が働いてこんなことに成ったのか分らないが、 思考する事を停止させられたマニュアル化人間と事なかれ主義の行政が、声の大きな一部の人に洗脳された結果ではなかろうか。大阪市の 「飛鳥会事件」などその最たるものといえる。今こそ我々調査業者は、自らの仕事に誇りを持ち、 調べることの大切さを世に問い、「再チャレンジできる社会づくり」に「調査業の必要性」 を訴えて行かなければならないと考えている。
投稿者 ks110 : 2006年10月11日 18:00
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